悪魔のソース・博多んぽん酢を新しい博多の名物にしたい。老人のかなわぬ夢でなく、夢を現実にしてみたい。脳梗塞から三度の生還。ヨレヨレ、ボロボロになりながら、果たせぬ夢を追い続ける男に、強力な助っ人が現れた。平凡だったそれまでの人生が「まさか」の出来事で、がらりと変わる。一度ならまだしも、それが二度も三度も続いた。波乱万丈だが実に、愉快だった。人生の終末期を迎えた今、またもや「まさか」の驚きである。ヒルマン監督ではないけれど、信じられな~いのだ。人生、終わり良ければすべて良しなのだが、それはまだわからない。

  

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2005年02月19日

出張もまた愉しい(1)

息抜きを兼ねて出張しますと告げたら、それをお書きなさいと言われました。素直に「ハイ」と言わなければなりませんでした。遊びに出かけるわけではありませんが、脱日常ができるのなら・・・・。

 時々だが、出張します。のっぴきならない用事の時は急ぎ旅になりますが、たいていは、連れのない一人旅。非日常の気分を味わう贅沢はできませんが、今回のように、せめて脱日常の気分だけでも味わいたいものです。

さて、行き先が決まったら即、旅の始まりというのがボクの持論です。宿や乗り物の手配。アクセス方法を決めるプロセスが面白いし、愉しい。すべてが旅のウチなのです。私の旅、どのようにして始まり、終わるでしょうか。

 目的地は大阪。一泊二日です。まず、決めなくてはならないのがアクセスです。乗り物は飛行機にするか、新幹線を選ぶか。右足が不自由でステッキを手放せない身体障害者ですから、移動手段をどうするか、あらゆる可能性を考えて決めなければなりません。

 スピード、料金、利便性、快適性。これらのうち、どれに重きを置くか、です。

先ず、真っ先に浮かんだのは飛行機。所要時間は1時間5分。新幹線では最速の「のぞみ」で2時間37ですから、スピードから考えるとやはり、早いのは飛行機です。

 問題なのは、空港までのアクセスです。自宅から福岡空港まで電車とバスを3回、乗り換えなければなりません。大阪も、関西空港か伊丹空港か、利用する空港の違いでアクセスの所要時間が違ってきます

 次に料金ですが、最近は乗り物とホテルがセットになったパック旅行の花盛りです。とにかく、飛行機代より安いのだから驚きます。例えば・・・。

 赤い風船の日本旅行が売り出している航空プラン「どや、大阪」。往復航空運賃+ホテルで20.400円ポッキリなのだ。正規料金だと、往復航空券だけで 3.2400円。前売り21という早期予約の往復割引切符でも、2.2.000円だから、ホテル代はまるまる得した勘定です。

 ホテルは、空港バスが玄関まで横付けしてくれる新阪急ホテル。大阪駅、地下鉄とも1分だから便利なことこのうえない。もう900円を奮発すれば第一ホテルもOKだし、逆に倹約する気で、ホテルのランクを落とせば1.000円は安く泊れます。ちなみに、一番安いのは17.200円で、市内からちょっと外れますが地下鉄は便利です。

 新幹線利用のパックはどうだろう。こちらも、いろんなプランが旅行会社から出ていますが、費用から見る限り安いのは飛行機。同じ、赤い風船の新幹線で行く「大阪、神戸」ビジネスプランは、新阪急の系列ホテル利用で、26.900円。飛行機の方が6.500円も安い。時間も料金も飛行機有利のようですが、忘れてならないのは現地での移動手段です。

 どうやら、乗り物を決めるのは、現地でのアクセスのようですが、旅の行方は明日以降ホームページの掲示板をご覧ください。

(つづく)  


Posted by 吉野父ちゃん at 10:00Comments(0)まさかの人生

2005年01月20日

寒さに強くなる食事

 こう寒いと、リハビリ通いも大変です。
介護やリハビリというのは、終わりがないから、死ぬまで続けなくてはなりません。寒いとうんざりしますが、義務感だけでやっているととても心身がもちません。どうせなら、病気を笑い飛ばすような明るいリハビリの方がいいに決まっています。

 正月に「わしは今年から、ヱスキモーになるぞ」と宣言しました。

 エキスモーは、われわれが想像もできないような寒さの中で暮らしています。だからといって、風邪のひきっぱなしということはありませんね。それは、彼らの食生活と関係があります。

 アザラシの生き血を飲み、生肉を常食する彼らは、体内で熱を蓄積し、それをエネルギーに変換することで寒さに強い体力を身につけているのです。
つまり、高脂肪、高タンパクの食事です。

 エスキモーではないので、生肉を食べる習慣はありませんが、肉、魚、豆腐、卵、牛乳、チーズなどは良質なタンパク質食品を摂れば良いのです。
肉でも魚でも自分の好きなものでいいから、とにかくたっぷり食べることです。それには「なべ」が冬一番のご馳走です。

 脂っぽいものが苦手な人でも、鍋にすると、肉でも魚でも抵抗なくたくさん食べられますし、野菜と上手に組み合わせば、多種多様の食品がバランス良くとれます。鍋料理の優れたところです。

 大切なことがあります。
タンパク質、脂肪、糖質などが代謝されるときにはビタミン、ミネラルが欠かせません。
緑黄色野菜も一緒にしっかり食べることです。
青菜には、抗酸化作用のあるビタミンCとE、体内に入るとビタミンAに変わるカロテン。全部含まれています。それに、昔から、青菜は一霜ごとに甘くなると言われています。まさに、今が旬です。

× × × × × × × × × × × × × × ×

 人の名前が思い出せない。
今朝、なにを食べたかすぐに思い浮かばないなど、だれでも年をとると、若いときに比べて物忘れをするようになります。しかし、単なる物忘れは病気のボケとは違うものです。

 同級生が博多に住んでいて、時々、三人で集まります。いつもは、ゴルフの後、19番ホールで旨い酒を飲むのが楽しみでしたが、病気をしてから、皆が食べ物に注意するようになりました。
私が脳血管障害の病気で倒れたので、血管壁を丈夫にする食事やストレスを貯めない規則正しい生活の大切に気づいたようです。

 「年をとると肉はあまり食べない方が良い、ということをよく言われるが、ありゃ嘘バイ」

 「質の良い動物性食品を摂ることが大切なのに、動物性と聞いただけでアレルギーをおこしてしまう」

 「そんなら聞くが、たらふく肉食って血管を詰まらせていいのか。脳に小さな梗塞(詰まり)が沢山出来ると脳血管性痴呆症になるよ」

 「お前、大丈夫か?」

 「わからん。発病してから半年以内に痴呆症になる人はかなり居るね」

 「・・・・・・」

 脳血管障害を予防し。活動的な生活を送ってボケを防ぐためには、食事を中心にしたセルフケアがカギになります。
一日に摂る動物性食品の目安量は肉、50~70グラム、魚80グラム、卵一個、牛乳200CC。これに、植物性タンパク質の大豆製品などをプラスすれば理想的。

 ただし、食べすぎはダメ。三食を規則正しく食べることです。寝たきりになると脳の活性が急速に衰えます。ボケの進行が早まるのです。

 寒さに強い食事の摂り方は、ボケ防止の効果もありました。  


Posted by 吉野父ちゃん at 09:00Comments(0)まさかの人生

2004年12月20日

実践的ダイエット論・その2

 6月末に退院した時の体重は63キロでした。目標体重は62キロですから、そう苦労しなくても減量できそうでした。むしろ、目標体重を維持することの方が難しいように思いました。
 肥満であっても、健康体の人はいくらでもいますが、肥満のままでいるのと、ダイエットをして健康な体質になるのと、どちらが自分の人生にとってプラスになるか。長生きできる保障はないが、少なくても、病気になる確率は減るはずです。

 ダイエットで大切なのは、最初から出来そうも無い目標は決めないことです。私の決めたダイエット3か条は次のとおりです。

1 カロリー計算はしない。
2 3食規則正しく。
3 間食をしない

 2と3はわかるとしても、カロリー計算をしないのは腑に落ちないと思われるでしょうが、そんなこと、できっこないのは始めからわかっています。出来ないことは最初からやらない方がいいのです。

 そう考えて野菜をたくさんたべるようにしました。
小松菜、ほうれん草、春菊、ブロッコリー、チンゲンサイなど。
 野菜のなかでも王様クラスの青菜を増やした。野菜はかさ高く量の少ない生野菜より多少、手がかかっても、加熱野菜を積極的にとるようにしました。

 ここで甘酢が大活躍します。ドレッシングはオイルが入るのでどうしてもカロリーの点で問題があります。ヒマワリ油やエキストラバージンオリーブオイルなど、健康オイルのドレッシングを使っても「しつこい」味がノドに残ります。
 その点、昔から和え物に使われ、日本人が舌に慣れ親しんだ甘酢は、まさにうってつけの調味料です。

 青菜とともに、食卓にしばしば登場したのは豆類と海藻。なかでもオカラは今でもしばしば登場します。栄養に富み、しかも安い。貧乏人にはなによりのご馳走です。
 オカラのほかに大豆、薄揚げの大豆3兄弟。鶏肉、ニンジンも入ります。豪華な中味です。
 ここでは「八方だし」が活躍します。醤油を減らし、味をつけるため八方だしは濃い目で煮込みます。そうすると塩分を少なく出来ます。

 細かい計算はしたことがないが、一日の摂取量は1.600カロリーになるように心がけています。あくまで、目分量にすぎないが狂いは無いようです。
 週3回は運動を兼ねて近くの公園に出かけます。30分ぐらいの時間だが、時には長時間、歩くこともあります。気分次第、何事も勝手気ままに振舞う。これが、ストレスを発散し、ダイエットの効果を高めるのか、現在、60キロちょうど。

 先日は鹿児島へ。気温21度。絶好の散歩日和。桜島を眺めながら、ついつい「じゃんぼ餅」に手が伸びました。これが、滅法うまかった。  


Posted by 吉野父ちゃん at 14:00Comments(0)まさかの人生

2004年11月12日

実践的ダイエット論・その1

 ダイエットを始めることにしました。またもや、脳出血で入院。半身不随になりかけたからです。入院時、66キロあった体重が、入院中の食事療法で退院時は、3キロやせて63キロになりました。初めの二ヶ月は病院で糖尿病の治療食、退院前の一ヶ月は高血圧治療食を食べました。摂取エネルギーはそれぞれ 1.600カロリー。管理栄養士がエネルギーを計算し、栄養バランスを考慮して献立を作ってくれます。問題は退院してからの家での食事だったが、病院食を食べて、量や味付け、献立構成などを自分の目と舌で覚えました。だが、細かい計算は時間もかかるし、第一、面倒くさくて、長続きはしないことが目に見えています。

 日本型の食生活を徹底して摂ることにしました。それを、よく噛んで食べるのです。ただ、それだけのこと。
 一口、30回で噛むのが目標。時間をかけてアゴを動かせば、脳を刺激するからリハビリにもなります。すべての基本は「咀嚼」から始まります。日本人には日本人にかなった食物があります。大豆、胡麻、米など穀物、海藻類、根野菜で、これは絶対なものです。

 「貴方のBMI(体格指数)は62キロだから、あと1キロ減量すること。減量するだけでは無くて、減量した体重を維持してください。減量は簡単ですが、維持することは意外に難しいですよ。ダイエットに失敗するのは、せっかくやせたのに、いつの間にか無頓着に飲んだり、食べたり。油断するからです」。栄養士さんから、エネルギー交換表や料理のレシピーがドサッと渡されました。

 退院した日の夕食は良く覚えています。煮豆といわし鍋でした。煮豆は水煮の大豆にヒジキ、ニンジン、揚げ豆腐を加え、コトコトと炊いたもので、薄味でいくら食べても飽きない味付けでした。調味料の醤油は、商品に使っている「加減醤油」にさらに、だしを加え、薄味にして塩分を抑えました。人間の味覚は、15歳ごろまでにつくられると言われます。昔食べたお袋の煮豆は、ごく淡い味で、だからいくら食べても、飽きることがなかったのでしょう。惣菜店で売っているのはむやみと濃く、しかも甘すぎます。惣菜はやはり自分の家で、その家庭独自の味付けをして食べるべきではないでしょうか。それには、その家独自の調味料があってしかるべきです。つくり置きを常時食卓に準備することにしました。出し割り醤油、酢割り醤油、八方だし、甘酢の4種類です。

 作り方をご紹介しよう。

●だし割り醤油:
材料は昆布10センチ、かつおぶしパック2袋、水2カップ。
以上の材料でまず、だしを作ります。作り方は簡単。水に昆布を入れて火にかける。沸騰する前に昆布を取り出す。沸騰したらかつおぶしをいれ、再び沸騰したら火を止めて上澄みをとる。これを、半分に煮詰め、冷ましたら醤油とあわせる。分量は1対1です。

●酢割り醤油:
醤油2、だし1、酢1。

●八方だし:
材料は醤油3カップ、酒1カップ、みりん1カップ、かつおぶし2カップ、昆布10㌢、干ししいたけ3枚。
材料を鍋に入れ、30分したら火にかけ、ひと煮たちさせ、弱火にして3分ぐらい煮たててこします。空きびんに入れて冷蔵庫へ入れておけば、半月は大丈夫。煮物、どんぶり、おしたし、麺つゆなど、和食にはなにかと便利です。

●甘酢:
酢2、砂糖1、塩小さじ1

 以上の合せ調味料が私のダイエット食の基礎調味料として、大事な役目をはたします。

 次回からは、具体的に食事内容からご紹介し、成功か、失敗か。そのプロセスをご紹介します。  


Posted by 吉野父ちゃん at 13:00Comments(0)まさかの人生

2004年11月12日

平兵衛酢(へべす)を訪ねて日向への旅

 ぽん酢の味を決めるのは柑橘酢です。
ユズ、スダチ、カボスが九州の代表的な柑橘ですが、宮崎で「平兵衛酢(へべす)」に出会ってからたちまち、その味のとりこになりました。酸味がまろやかで、ノドに優しい。酢独特、あのツーンとする刺激がない。小さな子供が酢を食べる不思議がありました。

 柑橘類が裏年だった昨年は、収穫量も少なかったが、今年は、玉なりが良く、果汁もたっぷり。近年にない出来ばえだそう。もう一つ、嬉しかったのは、鮎が豊漁らしい。香ばしく火の通った鮎に、もぎたてのへべすをかけて食べてみたい。動機はちょっと不順だったが、産地の日向市を訪ねたのは夏の終わりでした。
 三月に脳出血で倒れてから、病院暮らしが続いていたが、心に染み入るような味な旅になりました。

 市役所で、助役代行の黒木久典氏に生産状況を聞きました。謹厳実直そうな表情だが、眼が笑っている。へべすのことを話すのが、楽しくて仕方がないといった表情です。
「今年は豊作です。何度か台風が来たのに、珍しく被害がありませんでした。みかんやぶどう、梨も助かりました。ただ、野菜は全滅です。台風に弱いへべすやみかんは風の方で避けてくれたようです」。

 へべす畑へ向かいました。案内されたのは見晴らしのいい高台の畑。車のドアを開けると潮風に土の匂いが混ざっています。振り返って見ると、眼下は黒潮躍る日向灘。日当たり抜群で、柑橘の生育には絶好の土地柄です。鮮やかな緑の枝をかき分けながら畑に入りました。ゴルフボールより少し大き目のへべすは、はちきれんばかり。ナイフを入れるとしぶきが飛びました。

 夕方、日向市から延岡市へ向かいました。五ヶ瀬川沿いのホテルへ。部屋の窓から眺める川は水量が豊かで、流れは悠々として風格さえ感じます。五ヶ瀬川というのは、上流の高千穂町から、下流の延岡市まで、五つの瀬があることからで、鮎の友釣りが有名。解禁日には全国から太公望が集まるそうです。

 夜は念のため、へべすを三つ、ポケットに忍ばせました。宮崎でも、へべすを知らない人がいると言われるぐらいだから、へべすを知らない板前がいるかも知れない。そんな心配をしたのです。へべすは、江戸時代に、平兵衛というお爺さんが、山で自生しているのを見つけ、育てたのが始まり。日向市、東郷町、門川町の三つの市町村だけで細々栽培され、外部に出ませんでした。へべすがユズやカボスに比べ、メジャーになれなかった理由です。

 大事に持ち帰ったへべすで作った博多んぽん酢は、お客様に喜んでもらいました。京都市右京区から頂いた岩崎有希子さんのお便りには「さっそく、豚しゃぶをしました。一番搾りは初めてだが、まろやかで一層、美味しく頂きました」と書いてありました。

 大阪・平野区の村山雅子さんは「大阪に嫁いで20年になります。初めての味に懐かしい故郷を思い出しました」と書いてくださいました。お客様の顔は知らないが、想像する楽しさ。一刻値千金のひとときであります。  


Posted by 吉野父ちゃん at 12:00Comments(0)まさかの人生

2004年03月10日

赤ワインソース

 スーパーで買い物ついでに酒が買えるようになり、すっかり便利になった。規制緩和のおかげである。

 西友へ行って、目についたのが豊富に品揃えされたワインだった。酒売り場で主役の座にあった清酒が焼酎にその座を奪われたと思ったら、今度はその焼酎が、ワインの陰で隠れるように小さくなっている。400円前後から高くてもせいぜい2.500円程度。リーズナブルで買いやすい。どれもこれも、とてもおしゃれなラベルを身にまとっている。

 ワインといえばフランスやイタリアだろうが、それは昔の話。最近は日本でも、各地にワイナリーが誕生して、その土地ならではのワインが楽しめるようになった。フランス製ばかりをありがたがるのはそろそろやめて、国内産に目を向けたい。九州でも、湯布院や宮崎、福岡などに、個性豊かなワイン蔵がある。

 数年前、宮崎県都農町に美味しいワインがあると聞いて、わざわざ出かけたのは良いが、5時間かけてやっとたどり着いたら、なんと、売り切れ。地元の人が長蛇の列で、早い人は夜明けから並んで、2時間足らずで売り切れたそうで、都農ワインはボクにとって今でも、幻の存在だ。

 九州産を含めて、赤を何本か買って飲み比べてみると、これが結構美味い。なかでも、ぴったりだったのが「シャトー勝沼」の無添加赤わいん。価格も880円とお手頃だった。ちょっと甘めだが、野菜と一緒に煮詰めると、ワインの酸味と野菜の甘味がほどよく調和して美味いソースができそうだった。

 牛肉の煮込みだけでなく、鶏肉や子羊の煮込みにもいいし、白身魚の煮込みだってうまそうだ。軽く塩、コショウしたサバの切り身に小麦粉をつけ、バターでゆっくり炒め、赤ワインでじっくり煮込んでみることにした。

 ソースのつくり方の手順や分量は、専門書を参考にするが、大切なことはそれにとらわれることなく、自由に振舞うことだ。手順や材料を一つ一つ独立させてとらえるのでなく、他のいろいろなものとの関連の中で使ってみる。プロだったら間違ってもやらないだろうが、家庭の食卓で楽しむのだから、自分流でいい。

 そこそこの味を出そうとすると分量の問題が生じる。少量をつくるより、ある程度の量をつくる方が味が一段と引き立つ。フランス料理も和食と同じで「だし」が命である。魚の赤ワイン煮には、フユメ・ド・ポワソンが欠かせない。魚の骨やアラの煮出し汁のことでこれに、香りや旨味をつけるため、赤ワインでゆっくり煮込んだのが赤ワインソース。

 洋食のプロは、和食の料理人がカツオ節で丁寧にだしを引くように、野菜や魚のアラからじっくり出しをとるが、ボクが使うのは缶詰で良い。早い話、塩焼きした魚の骨とアラを茶わんに入れ、熱湯を注いでしばらくすると美味いだしとなる。つまり、潮汁なのだから、自分でやろうと思えば出来ないことは無いが、缶詰の味を試すのも勉強の一つだ。

 本が書かれたころの野菜や肉、魚たちは肉が締まり、味も濃厚だっただろうが今は違う。鶏のダシガラを例にとるまでもない。骨の髄まで長い時間かけて煮出したとしても、ぶよぶよした人工飼育のブロイラーからは、鶏本来の味が出ない。

 さて、吉野流の赤ワインソース玄海サバの煮込みはかくの如し。
 ニンジン、玉ネギ、セロリ、ニンニクをバターで炒め、赤ワインと赤ワインビネガーを加え、半量まで煮詰める。ソースは布かザルでこし、別の容器に移し、四枚おろしのサバに塩、コショウし、小麦粉をまぶしてバター焼きする。きつね色になったところで、ソースを加え、フライパンを揺すって魚にソースをからめる。

 この、揺すってからめるのが実に楽しい。フライパンの底がレンジに触れる度にゴトゴト鳴る。その音が手首の微妙な動きとともに、高く、低く、時には優しい響き方をしてくれる。

 手引書によっては、グラニュー糖で甘味をつける方法が書かれているが、ボクは少し抵抗を感じる。砂糖を使えば簡単に甘味がつくだろうが、むしろワイン本来のほのかな甘味を、タマネギやセロリなど、野菜本来が持ち合わせた甘味で、増幅させてやるところにソースづくりの妙味があるように思う。

 バターや生クリームで味を整えることは、ソースづくりの常道だが、ボクはバルサミコ酢を少し加えることにしている。それも、火を止める寸前に入れる。バルサミコ酢というのはブドウを醗酵させた酢で、最低でも5年間は熟成してある。それ自体でも、普通の酢より甘いが、熱を加えることでさらに甘味が増す。

 話がちょっとそれるが、梅肉にバルサミコ酢を加えると美味しいソースが出来る。タイやヒラメなど白身魚のお刺身にとてもよく合う「梅バルサミコソース」だ。食欲の落ちる夏場は酸っぱいものがほしくなるが、甘酸っぱいソースは一服の清涼剤とも言える。

 種をとった梅干しを包丁で叩いて、バルサミコ酢を混ぜ合わせ、少し煮込む。甘味が足りないなと思ったら、リンゴやナシをすって入れれば良い。オリゴ糖など天然甘味料があればベストだが、ここはバルサミコ酢を上手に使ってほしい。
 
 さて、肝心のサバの赤ワインソース煮込みだが、青魚の臭味が、ワインのアルコールとともに吹き飛んで、口中に香味が広がった。付け合せにした熱々のマッシュポテトがまた結構。文字どおり、ビロード色のソースを白いポテトでぬぐい、なめるように食べつくした。

 ワインソースに使うワインは、「辛口に限る」というのが常識らしい。料理の辞典にも書いてあるし、知り合いのシェフもそう教えてくれた。フランス料理にはやはりフランスワインで、「サンテミリオンに限る」と別のシェフがワインの銘柄まで教えてくれた。でも、ボクは日本人。国産を愛している。

 複雑なようで単純なのがソースだと思う。だれに聞いても、読んでも「ワインは辛口に限る」と書いてある。でも、ボクの舌には、勝沼がぴったりだった。味はどのようにも広がりを見せるのだから、自由に、ゆったりつくるのが良いだろうと思ったからで、どうやら、その直感は正しかったようだ。つれあいの笑顔が「そうですよ」と語りかけている。  


Posted by 吉野父ちゃん at 14:00Comments(0)まさかの人生

2004年02月25日

酢の効用

昔から「酢は健康に良い」と言われています。それを科学的に裏付けたのは、イギリスの生化学者、クレーブス博士です。摂取した栄養素が、どういうふうにしてエネルギーに変わって行くのか、そのメカニズムを科学的に解明し、1953年にノーベル賞を受賞しました。

 体内に取り入れられた食べ物は、消化されてブドウ酸となり、それがクエン酸などの有機酸から他の有機酸へと一定のサイクルで変化し続けており、ある酸から次の酸へと変化する時にエネルギーが放たれ、それが体の力になるというのが博士の理論です。このサイクルが、クエン酸から始まることから「クエン酸サイクル」あるいは、博士の名前からとって「クレーブスサイクル」と呼ばれています。

 酢を始め、梅干、柑橘、酸味のある果物などが、疲労回復に良いと言われるのは、それらに含まれるクエン酸が、体のなかに入るとすぐにエネルギーに変わるということが裏づけられたのです。

 「酢がからだにいい」ことから、ドレッシングで食べる野菜サラダを健康食の代表のように考える人がいます。昼はコンビニのサラダにパンですます女性です。ドレッシングに含まれる酢が健康にいい。しかも、野菜にはビタミンCが多く、食物繊維も豊富に含まれていて、野菜を食べれば太らない。健康にも、美容にもいいと思っているようです。

 とんでもありません。こんな食事を続けていると、美人になるどころか、皮膚はカサカサになり、肌荒れを起こします。毎日の食事のなかで酢を使った料理を少しずつ、バランスよく摂ることが大切です。

 野菜の90%は水分です。野菜ばかり食べていれば、栄養のバランスがくずれます。こんな、簡単なことがなぜわからないのでしょうか。タンパク質、糖質など多量にとらなければならない栄養素がほとんど含まれていません。野菜サラダは、それだけを食べる限り「欠陥食」です。

 野菜サラダが美容食と言われるのはアメリカやヨーロッパで通用する話です。欧米では、肉やチーズやバターやデザートの甘味をたらふく食べます。カロリーとタンパク質、脂肪、砂糖の過剰摂取する人にとっては、もっとたくさんの野菜を食べ、栄養バランスをとる必要があります。

 血圧のコントロールに気をくばっているので、私の食事は野菜が中心です。もちろん、サラダは欠かしませんが、こんなところに気をつけて食べています。緑黄色野菜を多く食べるようにします。ほうれんそう、小松菜、にんじん、春菊、ピーマン、クレソン、パセリなどですが、大根の葉はとくにたくさん食べます。

 サラダにかける調味料は、ドレッシングよりもぽん酢を多用します。ドレッシングオイルの摂りすぎによるカロリーオーバーを防ぐためです。言い古されたことで、だれども知っていると思いますが、つい、ドレッシングに手がのびます。市販のドレッシングは油が多く、必ずしも良質の油が使われているとは限りませんので、注意が必要です。

 本来、ドレッシングやぽん酢というのは調味料です。調味料というのは脇役であって、主役ではありません。どこの家庭にも醤油と酢、油がありますから、自分でそれを混ぜてドレッシングやぽん酢をつるのが一番です。

 まず、こうしてください。酢と油を食卓に並べてください。ヘルシーサラダを一緒につくりましょう。料理書には、酢1に対し、油2か3と書いてあります。ここが間違いの元です。酢と油は同量でいいのです。ぐっとヘルシーでカロリーを控えることが出来ます。

 混ぜる時は、油が先です。先に酢を入れると野菜にしみこみません。ぽん酢も同じです。ダイダイやカボス、ユズなどの柑橘を搾り、醤油を入れ足すだけ。だれでも簡単にすぐ出来ます。ちなみに、酢は、食用以外にもいろんな使い方があるようです。

●野菜の虫や泥を落とす
 野菜や果物は水1㍑に大さじ1の酢水で洗う。目に見えない、虫の卵や雑菌を殺す。

●肉を柔らかく
 肉を酢につけて一晩置く。繊維を分断し肉が柔らかくなる。調理の前に酢は洗い流す。

●チーズのカビ予防
 酢に湿らせたペーパータオルで、チーズをくるんでおくと、干からびたり、カビがはえません。ビニール袋に入れて保管します。

●ダイエットに
 肉や野菜などの煮込み料理に、酢を少し振りかけると、食欲が抑えられて少しの量で満腹感が得られます。塩を入れすぎたら、酢を少し加えてやる。カドがとれて味がまろやかになる。

●水虫、虫さされ
 靴下やストッキングを30分酢水に漬けてから洗濯する。水2カップに酢は二分の一カップ。かゆみは、水虫に直接、酢をつけ、一日に数回、洗い流す。ハチや蚊に刺された時は、コンスターチに酢をまぜ、ペースト状にどろっ、とペースト状に混ぜ、患部に塗る。ペーストが虫の毒素を吸い上げてくれる。

●もしゃもしゃ髪に
 酢と水1カップずつを混ぜ、リンスをつくる。パーマをかけた時や天然パーマの人は、シャンプーの後、リンスして約2分してすすぐ。髪が、もしゃもしゃになりません。

以上は、「酢で暮らすナチュラルライフ」(ブロンズ新社)からの引用です。

 それにしても、驚くべき酢の効用です。日常の食事のなかで酢を上手に取り入れる工夫をするとともに、普通の醸造酢だけではなく、リンゴ酢、黒酢、柿酢、きび酢、バルサミコ酢など、いろんな種類や、成分の違う酢を上手に使い分けする知恵が、健康なからだをつくるうえで大切なことのように思えます。  


Posted by 吉野父ちゃん at 14:00Comments(0)まさかの人生

2004年02月10日

頭の写真を見せられて

 MRIが撮影した頭の写真を見せられて「ああ、おれの運命もここまでか」と思った。二度目の脳梗塞で倒れてから、ちょうど一年。今こうして、元気で居ることが不思議だ。写真には、素人の私でもはっきり判る、50円玉ほどの出血痕があったからだ。

「こりゃ、いかんばい。切れとうよ」
「ほな、どうしよう先生」
「切れたもんはどうにもなりません。あんたの運が強うて、この出血がおさまれば、切らんでんよか。」
「なんで、こげなことになるっちゃろう?」
「そら、あんたが不摂生するからタイ」
そう、言ったきり、先生はどこかへ行ってしまった。

 手術といっても、細い血管の切れたところを縫い合わせることは出来ないから、ドリルで穴を開けるか、ノコギリで骨をはずし、吸引器で、血を吸い出すのだろう。医者でもないのに、いろんな場面を想像してしまう。

 救急病院の処置室というのは、すごい修羅場だ。重病人がひしめいている。息、絶え絶え、瀕死の患者が次から次と、救急車で運ばれてくる。着くと同時に息が止まったという人も居て、その人はすぐ、霊安室へ運ばれた。

 見込みのある人は、救命措置を施され、すぐに手術室に運ばれるが、歩行も会話も自由な僕のような患者は、一分一秒を争わないから、どうしても後回しになる。

 しばらくして、血まみれの手術着を着た医者が現れた。
「ノウゲの先生よ」
「ノウゲ?」
「脳神経外科。略してノウゲ。判る?」
判る、判る。今から、オレの頭に穴あけるんだな。

 歳のころは35か6ぐらい。無精ひげ。痩せて、目つきが鋭い。油断の無い目つきだ。もう一人の、白衣の医者と、新しく撮ったCTスキャンの断層写真と MRIを見比べながら、ボクの両手をぐっと握り締め、握力を調べたり、懐中電灯で目の動きを調べている。いわゆる「神経学的所見」を診ているらしい。

 白衣に告げられた。
「右視床に直径1cm強の出血巣があり、周囲に浮腫が認められます。血圧が187―118と異常に高い。瞳孔、目位異常なし。意識清明だが、左顔面と左下肢に軽度の神経麻痺あり。高血圧症、糖尿病、高脂血症、脳梗塞の既往症による発病です。点滴で浮腫の拡散を防止しながら、高血圧、糖尿病、高脂血症の基礎疾患の治療を始めます」。

 ノウゲが「出血が止まらなければ、私がすぐに処置します。」と言った。どうやら、手術室行きは免れたらしい。

 前回、鹿児島で倒れた時は、さほど感じなかったが、今回はいささかがっくりした。素人でも判るほど出血の後が生々しかったからだ。後遺症が残るとすれば、それはどんな種類のものなのか。筋肉麻痺、それとも言語障害なのか。あるいは、記憶障害ということも考えられる。
とにかく、ベットに縛り付けられて、点滴の注射液がポトリ、ポトリと落ちる様子を見ながら、不摂生を反省したが、もう遅かった。

 脳卒中を起こす危険因子を列挙してみると、
①高血圧
②アルコール
③コレステロール
④肥満
⑤喫煙
などがあげられる。
いずれの症状も、本人の心がけ次第。真面目な食生活を送れば病気にかかる心配はない。塩分過多の食事や偏食を避けるだけで予防することが出来る。⑤を除き、すべて当てはまるものばかりで、正直言って、自分で自分が情けなかった。

 このことは、だれでも知っているし、そうしたいと思っているのに、なかなか実行できない。なぜだろう。それは、人間として「弱い」からだ。精神的に「幼い」からにほかならない。これでやめればいいのに、と思いながら、つい、もう一杯飲んでしまう浅ましさ。
これが、積もり積もると大変なことになる。

 この病気の特徴は、ほとんどの場合、重度の身体障害が後遺症として残る事だろう。しかも、やっかいなことに、血管が詰まったり、破れたりする原因が、百人百様であるため、後遺症の現れ方、重さの程度がまったく異なるから大変だ。

 私の場合、軽度の左半身麻痺、注意力低下、集中力低下が残ったものの、外見上は常人と変わらず、一見する限り、二度も脳梗塞を患ったようには見えない。
もし、治療が遅れ、浮腫(むくみ)や血腫(血のかたまり)が広がっていたら、頭の中は逃げ場がないから、内圧がどんどん上がる。極限状態になると、生命中枢神経がやられて、ついに脳死に至る。
そうなっても、不思議ではなかった。危険因子を抱えていながら、漫然と過ごしていたツケが今また、回ってきただけだ。

 退院し、改めて生活を見直した。その結果、食事は和食中心に切り替える。納豆、豆腐などの大豆食品、ワカメ、ヒジキなど海藻類を多用し、アルカリ性食品中心の献立にし、肉などの酸性食品は極力、食べないように改めた。

 現実の社会を見ると、市販のインスタント食品、加工食品、外食食品には多くの塩分、脂肪分が含まれており、飲酒、過食の習慣は女性や若年層にまで広がっている。
さらに、ストレスの要因は常にいっぱいある。体質に関係なく、だれが高血圧症になってもおかしくないのが現実の社会だ。

 昔から、酢が健康に良く、血液をサラサラにする効果のあることは、だれでも知っている。でも「なぜそうなのか」ということは意外に知られていない。
 そのメカニズムを解明したのはイギリスのノーベル賞受賞の生化学者クレーブス博士だが、それを知っておくことは、成人病(生活習慣病)予防に大いに役立つと思われる。次号でもう一度、勉強してみたい。  


Posted by 吉野父ちゃん at 11:00Comments(0)まさかの人生

2004年01月25日

死んでたまるか

 二度目の脳梗塞で倒れて、ちょうど一年になる。最初は5年前、鹿児島へ向かう高速道路を運転中に発病した。脳梗塞が他の成人病と違い、特別に恐れられる理由は、重い障害が後遺症として残るからだ。ほんの一部の軽症者や、早期発見で治療が適切に行われた人以外は、マヒや言語障害などの重い後遺症は必ず残る。この点、二回も倒れたのに、さしたる後遺症もなく、健康な身体と生活を取り戻せたのは、非常に幸運だった。

 病気を完治するには、適切な治療がなによりも大切だが、「必ず良くなる」とか[死んでたまるか」という、人間としての気力が、その人の生命力を高める。精神の高揚があって薬も効くのであって、「オレはもうダメだ」と思ったら死んでしまう。

 二回目の時は、右視床に直径1cmの出血巣があり周囲に血腫が認められた。診察した医師は「血腫が広がると脳圧が上がり危険なので、手術が必要になるが、まだ中枢神経が血腫で侵されていないので、内科的療法で血腫の広がりを押さえます」と説明してくれた。

 手術に備えて、剃髪の準備も終わりクリクリ坊主にされる寸前だった。脳浮腫予防に点滴を開始したが、これが劇的に効いた。再出血も血腫の広がりも止まった。点滴は大型の注射器だ。600ccぐらいの薬液をポトポトと、しずくように落として静脈から入れていく。スピードを速めると心臓に負担がかかるとかで、一回の点滴に二時間もかかる。

 しかし、この点滴が脳血管障害の治療に抜群の効果をもたらす。脳梗塞には必ず、前触れがある。片マヒや知覚障害、言語障害、片側失明など、普段とは違う症状が突然、現れる。大抵は24時間以内に症状が消えるので「なんだ、思い過ごしか」とつい、見逃してしまう。

 ここが命の分かれ目になる。この時点で、適切な治療をすると、それ以後の再発を防止することが出来る。一回目の時は、車を運転中で、どうしても前へ車を進めたくない。サービスエリアに車を止めて、冷たい水を飲んだ。スッキリしたところで、再び、運転を始めたが、左足がなんだか重い感じがする。

 次のサービスエリアに車を止めた時には、左足の感覚が普通の状態ではなく、太ももをつねっても傷みを感じなかった。多少の知識はあったので「脳梗塞の前ぶれだ」と直感した。携帯電話で毎日新聞鹿児島支局へ電話、周辺の病院を調べてもらい、設備やスタッフが揃った鹿児島市民病院の「救急救命センター」へ車ごと転がり込んだ。救急車を手配するから、動かないで待つように指示されたが、無謀なことをしたものだ。

 二回目は早朝、前触れが来た。左半身に脱力感があり、口の左側がしびれていた。自分で起き上がることが出来なかった。この日は、成人の日で病院はどこも休んでおり、行くとすれば救急病院しかない。でも、行きたくないのだな。担架に乗せられピーポーピーポ運ばれる自分の姿を想像すると、救急病院へは行きたくなかった。そのうち、脱力感がとれて自分で起き上がれるようになった。

 ここでボクは人生を賭けた。今、考えると、愚かなことをしたものだと反省するが、かかりつけの神経内科があく、24時間後までこのまま安静にする。口のしびれが増大したり、言語に異常を感じたり、再度、立ち上がることが出来なくなったら、即座に救急車を呼ぶよう、家族に指示した。不思議なことに、食欲は十分で、朝も昼もたっぷり食べた。

 翌日、かかりつけの神経内科で診察を受け、頭部MRA撮影をし、出血が確認されたので、入院の手配をしてもらった。結果的には24時間もの間、素人判断で治療を放置したわけで、先生からきついお叱りを受けた。

 人生を賭けたのにはボクなりの理由があった。18年ぶりに発売を再開した「博多んぽん酢」を売りまくる必要があったのだ。年末年始は、一年中で一番、ものが売れる時期だ。とくに、ぽん酢は鍋の需要が多い年末から正月にかけてが一番の稼ぎ時。この時期に売れなければ、先の見込みは薄い。ヘタをすれば、会社を整理するしかないぎりぎりの状態だった。

 命が大事か、仕事が大事か。賢い人なら、まず、病気を治してから、仕事にとりかかるでしょうが、このまま救急車に乗れば、せっかく、つき始めた「ん」に見放されるような気がして「ん」を天にまかせることにした。結果的には「博多んぽん酢」が「ん」を呼んでくれたのか、病気も仕事も好転した。しかし、こんなバカなマネはもう、二度とやりません。

 食事やストレスが、成人病と深いかかわりがあることは、だれでも知っているのに、病気にかかる人が増える一方だ。死亡者は減少したが、発病者は増加の傾向にあり、しかも、働き盛りの 40、50歳代に増えつつある。治療方法の確立で死亡者は少なくなったが、言語障害やマヒなど、重い後遺症に苦しむ人は増える一方という。

 成人病が、食事やストレスと深いかかわりがあることが知られているが、その発症のメカニズムは不明のままだ。僕の場合、慢性高血圧、高脂血症、糖尿病をかかえ、薬を飲んでいたが、発病してしまった。しかも、二度。三度目は、ただではすまないだろうから、食事の改善を中心に生活全体を見直す必要がある。

 僕は、職業がら、健康に役立つ調味料をつくることが得意ですが、自分一人の力で、できるものではありません。皆さんに助けて頂きながら、調味料と健康とのかかわりについて、少し考えてみたいと思っている。  


Posted by 吉野父ちゃん at 13:20Comments(0)まさかの人生

2003年12月25日

市場から消えた料理人

 市場の朝は早い。
世間様はまだ暖かい布団にくるまっている頃、市場には長距離トラックが集まってくる。福岡には大小さまざまな市場が点在するが、博多港の長浜にある魚市場と、博多駅裏の五十川にある青果市場が両横綱だ。ボクが普段、利用するのは、青果市場の方だが、魚市場にも出かける。

 魚市場の熱気に比べると、青果市場はやや活気が少ないが、長旅を終えたトラックから降ろされた白菜や大根など冬野菜の山が築かれるとともに、いやがうえにも熱気が高まる。

 最近では、ボタン式の電子セリが増えつつあるようだが、ボクは独特の符丁や隠語、だみ声の飛び交うセリ場の雰囲気が大好きだ。博多は、そうした古き良き伝統で市民生活が支えられているので嬉しい。鑑札がないので、セリには参加できないが、後ろの方からセリの様子をのぞくことができる。

 例えば大根だが、葉物野菜や根野菜、果物などそれぞれののセリ場が決まっているので、大根は大根のセリ場に行けばいい。今からセリを待つ大根の産地、品種、等級などがわかる。大抵は5cmくらい葉先を残してダンボールに入れられているが、時々、葉っぱの方が長い葉付き大根に出くわす。

 こんな時は、せり落とした仲卸しに頼んで、店に並べる前にわけてもらう。もちろん、朝飯用だ。ミジンに刻んで、塩、コショー。胡麻油で軽く炒めてぽん酢で食べる。一度には食べきれないので、昼、パートさんにも食べてもらう。

 さて、セリ落とされた野菜は、仲卸しの手でそれぞれの店に運ばれる。ボクたち、買出し人はこの仲卸しのコマを回りながら、品定めするのだが、ここ10年ほど前から、料理人の姿を見かけなくなった。電話やファックスで注文しておけば、午前中に配達してもらえるので、なにも眠い目をこすりながら早朝から市場に出かけなくても、用を足すことが出来るからだ。

 からだが楽で便利になったには違いないが、これでは、品物の良し悪しを見分ける勘や、旬の味を見抜く、目利きの料理人は育たない。彼らは仕入れた品物より、伝票をしっか
りチエックする方が大切らしい。お客に美味しいものを食べてもらうには、どうしたらいいか、と、いう努力より、味は二の次。どうすれば儲かるか。電卓を弾くことに長けた料理人の方を喜ぶ経営者が多いからだ。

 同じ畑の大根でも、身の張り方、色、艶、大きさ、重さなどが一本一本違う。ましてや、産地が違えば品種も味も違うのに、青首や練馬、聖護院、桜島といったそれぞれの違いがわからぬ料理人がいるというからたまげてしまう。

 先日も玉ねぎを仕入れに行き、得難い出会いを経験し、教えられたことがある。
玉ねぎは今や一年中買えるので、いったい、本当の旬は何時なのか判りずらい。今は、淡路島や香川県産の「もみじ」という品種が旬の盛り。普通、スーパーにあるのは北海道産なのだが、「もみじ」は3割方高い。が、果肉のキメが細かくて、身の締りがいい。ジューシーで甘味があり、柔らかいので生食がいいし、ドレッシングには最適なのだ。

 この「もみじ」の出荷が終わる2月からは、九州産の早出し春玉ねぎの出番。一番バッターは延岡(宮崎)の「空飛ぶ玉ねぎ」が、ジェットで大消費地の東京へ運ばれる。次いで、水俣(熊本)のサラダ玉ねぎが登場。5月からは佐賀や長崎産が登場する。九州での出荷が終われば日本列島を北上して北海道が主力になり、10月からは香川や淡路、泉州といったところの玉ねぎが登場する。

 電話やファックスで注文すれば確かに玉ねぎは届くだろうが、自分の目で確かめていないので、値の安い産地の玉ねぎではないか、と、疑っても、否定されると、反論出来なくなる。つまり、流通の現場を知らないから文句のつけようがないのだ。
 
 先週のある日、行きつけの店には香川県観音寺産、別の店には同じ香川でも丸亀産の玉ねぎが並んでいた。観音寺は2Lで皮はぎ作業が楽なので、手を伸ばしかけてフト、隣の店を見るとカトリックのシスターが玉ねぎ選びに余念がない。ちょくちょく顔を合わせるので、お互いなんとなく気安さを感じ、玉ねぎ談義になった。

 そこで教わったのが「玉ねぎの即席漬物」。
ご紹介しよう。とても簡単に作れて、美味しいのだ。玉ねぎは粗ミジンに切ります。軽く握って水分を飛ばしたら、インスタントのだしの素を両手にとり、もみ込んで10分ほどそのままにして味を馴染ませる。最後にぽん酢で味を整えるだけ。とても簡単で旨かったので、キャベツや白菜で同じようにしたが、ボクにはキャベツが最高だったな。胡麻やチリメンを振りかけてやれば、栄養価も高まり立派な一品になる。

 シスターによると、浅漬けにする玉ねぎは香川産、それも柔らかくてジューシな丸亀産の小玉が良いそうで、包丁を入れると硬い北海道産は煮込み料理、それも弱火でじわじわ煮込む方が味が深いそうだ。こんな出会いがあるからこそ、市場通いは楽しい。

 だが、こんな出会いも今のうちかも知れない。IT時代にあっては、商取引の場もコンピュータ上に移行した。そのうち、獲れ立ての野菜や魚を消費者へ直接販売する電子商店の時代になり、荷受や仲卸問屋の使命も終わるだろう。

 ネットショッピングでは、人間くさいものの一切が否定され、人間の息づかいや、臭いもない。無味乾燥の野菜や魚を食べることになる。効率を追求していった果てには、そうなることを覚悟しなければならない。料理人と素材の距離が次第次第に離れていくのを嘆いてばかりはおれないので、魚市場をのぞいてみた。

 青果市場も市場であることは間違いないが、同じように市場を名乗ってみても青果市場は、魚市場にくらべると影が薄い。活魚というぐらいだから、鮮度そのものが高品質の証になるので、売り手も買手も真剣勝負。妥協がない。活気に満ち溢れている。少なくなったとはいえ、青果市場では、全く姿を見かけなかった料理人の姿が、ここでは見かけられる。

 しかし、悩みの種は共通していた。昔は売り手と買い手の相対勝負で市場を形成していたが、商社やスパーとの大口取引きが増えるにつれ、取引形態も電子取引が主体になりつつあるという。

 「大きな声じゃ言えないがね」と教えてくれた話では、料理人が「社長」と呼ばれているような店は、ろくに目利きも出来ないが、買う量は半端じゃないそうだ。家族経営で慎ましやかな商いをする小さな寿司屋や小料理屋こそ本来のお客さん。目利きの職人が居て、旨い料理を出してくれるそうだ。

 2、3、店名を聞いたがここでは公表できない。土地不案内で、良心的な店が知りたい人には、「こそっと、メールで教えちゃるタイ」。  


Posted by 吉野父ちゃん at 10:00Comments(0)まさかの人生

2003年12月10日

賞味期限への挑戦

 鹿児島のホテルで、桜島を眺めながらこの稿を書いています。山肌が夕日に焼け、紅色に輝いて見えます。火山灰に覆われた山肌は朝夕、日を浴びるたびに赤や紫色、ベンガラ色と目まぐるしく変化しながら、旅人の目を楽しませてくれますが、今、紅色から紫色へ変わりつつあるところです。

 和食の親方(調理長)から、キビナゴの刺身用のワサビソースを頼まれたのは三年前のことでした。キビナゴは10cmにも足りないような細く、透き通るような小魚で肌の縞目がクッキリして目にも美しい鹿児島ならではの魚です。

 鹿児島では、錦江湾で獲れたこのキビナゴの刺身を、酢味噌で食べるのが昔からの慣わしで、豚骨料理とともに薩摩料理の代表選手です。このキビナゴをわさび味噌のソースで出したいというのが親方の希望でした。

 国賓や皇族の利用も多く、つい先日も天皇、皇后両陛下が宿泊されたばかり。すべての面で「完璧」が要求される。親方が示した条件はただ一つ。「ワサビは本物を使え」でした。だが、ワサビ味噌ではなく、わさび「ソース」とソースにこだわるところに、親方自身の思い入れがあるようでした。

 そして、それはそのとおりでした。親方の味はホテルの味そのものです。変なものを出すとホテル自体の評判を落とすことになります。鹿児島では、キビナゴの刺身はどこにでもあるし、惣菜料理の定番にもなっています。ありきたりの味ではなく、そこに創意工夫があり、時代の変化を感じさせる新しいなにかがある。つまり、伝統を大切にしながら、革新が求められているのです。

 我々が普段、使っている粉わさびやチューブのわさびは、本わさびを粉末にしたものだと思っている人も多いでしょうが、実はワサビ大根という野菜の粉末です。味も香りも添加物で人工的に作られた味になっています。

 本物のわさびは辛いだけではありません。辛さの中に、ほのかな甘味があり、ノドから鼻に抜ける香りはわさび特有の沢の香りがします。

 気のきいた蕎麦屋や小料理家さんでは、本わさびをおろし器とともに出してくれるところがあります。なかには、サメ皮のおろし器でさあどうぞ、という店もあります。こうした店のソバや刺身は本当に美味しいですね。今では、自分でおろしたワサビを刺身の上にチョコンとのせ、少しだけ醤油をつけて食べる食べ方がナウイと言われるようになりました。わさびの美味しさを堪能するには、ベストの方法です。醤油の中へ溶かし込むなんて、わさびが泣きます。

 泣くといえば、わさびの辛味の素である「アリルカラシ油」は揮発性なので、おろして5分もすると揮発してしまいます。香料や辛味添加剤を使えば、辛味を持続さすことは簡単ですが、天然の本わびを使うことが絶対条件ですから、本物の顔をしたニセモノをつくるわけにはいきません。

 わさびとともに、みそにもこだわりました。無添加、国産大豆、天然仕込みの九州産という条件でまず、10種類を選び、最終的に福岡、マイヅルさんの白味噌を選びました。

 キビナゴをサラダ感覚で召し上がって頂くため、ドレッシングタイプに仕上げることにしました。すべての材料が天然素材という約束事がありますので油選びにも神経を使いました。

 クセのないクレープシードオイル(ブドウの種から抽出)と太白胡麻油のどちらを使うかで迷いましたが、結局、愛知県蒲郡市の竹本油脂の「太白胡麻油」で決着しました。以前、工場を訪ね、製造工程を確かめていたことと、胡麻をナマのまま搾り、あえて香りと色を押さえ、胡麻の旨味を最大限に引き出す技術がどのメーカより優れていると判断したからです。

 わさび発祥の地は静岡です。わさびは清流でないと育たないと言われているように、きれいな水が必要です。水温や気温、日照条件など環境条件の良いことが美味しいわさびを育てる条件です。とくに、水温が大切で、年間を通して15℃前後の一定した水温が良いわさびを育てる条件になります。人間が服装で気温の変化に対応するように、わさびは、夏は冷たく、冬は暖かく感じるきれいな水で育ちます。

 九州と静岡はあまりにも遠すぎます。最終的に広島県のわさび田を選びました。福岡から高速道路を飛ばすと4時間で行けるし、一年中、品質に差異のないわさびを供給してもらえることから白羽の矢を立てました。

 わさびの辛味を持続さす方法として、砂糖や塩を使う方法があることをわさび屋さんから聞きました。親方からは、おろしたてを包丁で叩くように刻むと辛味が引き出されることも教わりました。結果的には、砂糖の浸透圧を利用することで辛味成分を引き出し、5日程度は辛味を持続さす方法を編み出しました。お客様に最高の状態で味わっていただくため、ホテル側にも協力して頂きました。

 結婚披露宴や大きなパーテイーは事前の予約で、人数も予算も決まっているわけですから、メニューもそれに合わせて組み立てることが出来ます。例えば、12月24日にクリスマスパーテイーがあるとします。わさびの風味が楽しめるのは、せいぜい5日ですから、遅くとも21日までに発注をしてもらいます。わさび家さんには、22日の午前中に収穫してもらい、午後に宅急便で出荷してもらえば23日の早朝には福岡に届きます。

 すぐ製造すれば夕方には出荷出来るので、翌日朝にはホテルに着きます。夕方からのパーテイーには悠々、間に合います。事前発注方式ならではのメリットです。この、天然わさびのみそソースは、その柔らかな辛味と風味がたちまち評判となり、今では、キビナゴの刺身だけではなく、魚や肉の焼き物にも使われるようになりました。

 ちなみに、天然わさびは円を描くように優しくゆっくりおろすのが鉄則です。細胞をより細かくすりつぶすことで、辛味成分や香りが出るからです。このわさびを芋焼酎に入れると、これが絶品です。色もきれいだし、さつまいもの甘味成分である澱粉が、わさびの辛味成分とピタリ融合。「これが焼酎か」とうなってしまいます。但し、温度が問題です。

 好みの温度は試行錯誤して会得してください。ヒントは「ぬるめの燗が良い」と申し上げておきます。

 博多んぽん酢にしろ、わさびみそのソースにしろ、素材の旨味をキチンと引き出してやれば、素材の方でそれに応えてくれます。このわさびみそのソースはゆで野菜にとてもよく合います。ブロッコリー、カブ、レンコンなど根野菜の温サラダが美味しいし、ボイルした肉厚の豚肉は、少し甘い白味噌が柔らかな辛味とともにアトを引く美味しさです。

 食べ物は採れたて、作りたてを食べるのが一番美味しいし、栄養や健康面からも理にかなっています。しかし、さまざまな事情から、日持ちを良くするための添加物が使われたものが沢山出回るようになりましたが、限られた時間の制約のなかで、それぞれが工夫すれば、こうした試みが可能になるのではないでしょうか。

 悪魔のソースは、博多というローカルな土地で生まれましたが、品質にこだわり、ローカルにしてグローバル。全国のマーケットに通用するものにしたいというのが密かな願いです。

 賞味期限3日という、超生もののソースやドレッシングを提供するにはどうしたら良いか。来春から、鹿児島で新たな試みを始めます。賞味期限3日への挑戦です。

 雨の日も風の日も、黙々と噴煙を吐き続ける桜島は「人間なんて小さい、小さい」と語りかけているようでした。  


Posted by 吉野父ちゃん at 08:00Comments(0)まさかの人生

2003年11月25日

テレビ狂想曲・その2

博多んぽん酢が紹介されたのは、大阪朝日放送の朝の情報番組「おはよう朝日です」の<全国うまいもの取り寄せコーナー>。この番組は、関西で人気上昇中とかで視聴率が10%を越えるそうだ。デイレクターからの連絡では、取り寄せコナーは今回が4回目。博多んぽん酢はトップ登場の予定だそうだ。

 デイレクターというのは、企画を考え実際に取材に出て、構成を練り、編集しプロデユーサーのチエックを経たたうえで放送する。いわば、番組づくりの現場責任者である。

 今回の企画は「鍋」。15分間という時間の枠内で3件が紹介されるそうだ。ぽん酢はうちだけで、あとは鍋の材料となる肉と魚だそうだ。

 単純に考えると15分で3件だから、1件あたり5分という計算になるが、途中にコマーシャルが入るから3分も放送してもらえれば大成功と言わなければなるまい。トップ登場というのはあくまで予定だから、予定を確定にし、たとえ30秒でもいいから長く取り上げてもらいたい、そう願っていた。

 そもそも、「博多んぽん酢」が目に止まったのは、インターネットでぽん酢を検索し「悪魔のソース」という強烈なネーミングに驚き、ホームページにたどり着いたというのが事の発端。本当に仕事の出来る人間は一部を見ない。現場へでかけ、全体を見てから構成や取材の段取りを考えるものだ。

 話が飛ぶが、全体を見て判断するということの大切さを学んだのは新聞記者をしていた時だった。公金を使い込んだ役人が、逃亡先の北海道から大阪空港へ護送されてきた。飛行機がスポットに停止して、ドアが開くと、カメラマンがポジションを確保するため、タラップの周辺に群がった。

我が社のカメラマンは、悠然としたまま。びくともしない。やがて、乗客の一番最後から犯人が現れた。「よっしゃ」と我がカメラマンは、脚立を立てたとおもったら、望遠レンズで「パシャッ」たったの一枚だけ。わずか2,3秒ほどの早業だった。

 夕刊社会面のトップには、両手錠をかけられた犯人とそれを取り囲むようにして群がるカメラマンや飛行機が一枚の写真の中に見事にまとまっていた。臨場感あふれる写真がすべてを伝え、記事は必要ないほどだった。

 「ええか、火事でも殺しでも、現場へ行ったら一番高いところから全体を見ろ。そうすれば、見えないものが見えてくる」そう教わったのである。

 話を戻して・・。
 取材に訪れたデイレクターの仕事は、高台に上って大宰府市の全体を見下ろすことから始まった。土地の空気に触れ、風音を聞きながら想を練ったようだった。それからの仕事は次から次と手際よく進められた。旅番組や旨い店の取材で目にするカメラ、音声、照明の3人でチームを組んで仕事をするのがテレビの取材だと思っていたのに、一人三役だった。さすが大阪。一人でようやるわ、というのが正直な感想だった。

 放送はたった5分でもテープを回すのは5時間も6時間もかかる。時間をかけてとったものを、2秒とか3秒とかにカットし、つなぎ合わせる。放送終了後、ビデオで検証すると20秒とか30秒単位で撮影された場面ごとの映像が、切り刻まれて一本にまとまるプロセスがありありと見え、テレビの魔術に触れた思いだった。

 意外だったのは、実際にスタジオに鍋を持ち込んで試食会が行われ、それが同時進行で流されたことである。

 「なんやこれ。悪魔と違うやんか。悪魔やから、もっと辛いのかと思ったのに、味が深い。いままでのぽん酢と全然、ちゃうわ」

 このコメントは強烈に作用した。ダニエルカール氏やアナウンサーが、それぞれの言葉で、自分なりに感じた美味しさを自分の言葉で伝えてくれた。

 お世辞と本音は敏感にわかる。新聞や雑誌では「旨い」と表現するにはせいぜい美辞麗句を並べたてる以外にないが、テレビでは「旨い」と本当に思ったら、顔の表情や声のトーン、目の動き、ハシの使い方までが忙しくなる。

 メルマガで放送予定を流したせいか、テレビをご覧頂いたお客様からのお祝いメールが届いたのも嬉しい出来事だった。

 なかでも、お祝いと赤字で書いたノシをレイアウトした手作りメールを送ってくれた大阪の小学5年生の女の子からのメールは最高に嬉しかった。(トップ頁トピックスで紹介しています)

 以前、その子のお母さんからのメールで、悪魔のトリコになった娘さんの話を聞いてはいたが、ビデオを見て素直な気持ちを伝えてくれた、その子の優しさが身に染みた。

 とかく広告媒体としての役割や効果が重視されるテレビの世界にあって、こんな心の交流を体験できたことは望外の幸せだった。

 テレビは一過性で、ブームが過ぎるのは早いといわれる。初めて体験したテレビ通販だったが、放送終了後10日目くらいから、悪魔のソース本来のお客様の来店が増え始めた。
 嵐が過ぎ去るのを待っていて下さったお客様たちだ。

 手づくりとはなにか。ほかのぽん酢に比べ、つくり方や材料がどう違うのか。肝心な味はどうなのか。作っているのはどんな人間で、なにを考えているのか。
 テレビは私たちの姿を赤裸々に見せてくれた。

 これからも、これまでどおり、当たり前のことを当たり前にやるだけである。  


Posted by 吉野父ちゃん at 14:10Comments(0)まさかの人生

2003年11月10日

テレビ狂想曲・その1

みのもんた氏が、「コレ、健康にいいよ」と紹介するだけで、その商品がスーパーの店頭から姿を消すそうです。悪魔のソース「博多んぽん酢」も、初めてテレビに出演しましたがその魔術に翻弄(ほんろう)されました。以下はそのテレビ狂想曲のてん末。

 大阪朝日放送の朝の情報番組「おはよう朝日」で「博多んぽん酢」が紹介されたのは10月29日の朝でした。原材料の紹介、製造風景。それらに必要な器具の紹介。作り手の思想や顔がインタービューを交えながら要領よく紹介されました。できたての「博多んぽん酢」がスタジオに持ち込まれ、試食風景がナマ放送されました。

 テレビ取材を引き受けたのは次のような理由からです。
●悪魔のソースというネーミングの再検証と確認。
●大根おろしやショウガ入りの純ナマぽん酢が、ぽん酢の味にうるさい関西人の舌に受け入れられるかどうか。
●価格にシビアな関西人に味と価格の判断を仰ぐ。とりわけ、庶民的な気風が強い南大阪での反応が知りたい。

 「ぽん酢やはんでっか。今、テレビ見てんねんけどネ、あれ、送ってくれはらへん」
 最初の電話は午前7時43分でした。
 この時、画面は、ボールに大根おろしやしょうがを入れ、醤油を加えながら、玉杓子で全体を混ぜ合わせる場面が写し出されていました。ステンレスの容器に玉杓子があたる「シャッツ、シャッツ」という音が聞こえます。玉杓子を回すスピードが速くなるにつれ、摩擦音が短く、早くなります。

 文章にすると「機械ではなく人の手でつくります」と表現するところでしょう。でも、抽象的な表現で良くわかりませんね。テレビでは、それが一目瞭然。しかも、リアルタイムで写し出されます。掛け合う言葉が聞こえるし、器具がぶつかり合う音まで美味しく聞こえます。テレビの「魔術」です。文章ではリアルに伝えることが難しい場面ですが、テレビは、渦の巻き方まで写しだします。

 電話が鳴り始めたのは、商品名と申し込み先が画面の下の方へテロップで流れ始めた時でした。後日、ビデオを検証して判明しました。

 不思議で面白い現象が起こり始めたのは昼前からでした。北九州市や福岡市内の人たちからの電話が増えてきました。テレビを見た人が、いくらかけてもつながらない電話に業をにやし、福岡の親元や知人に逆情報を流したのです。

 電話を受けた福岡の人が、今度は市内のデパートに問い合わせの電話を入れ、電話を受けたデパートから、在庫を確認して追加注文が入る・・・。情報が一人歩きを始め、それが次第に増幅しました。

 午後になると3人のお客様が住所を頼りに訪ねて来られました。京都や大阪からの逆情報が流れたからです。わずか数時間の間に人と金が、地域の経済圏を越えて動き始めたのです。これが、テレビの威力です。

 何度も書いているので「またか」と言われそうですが、20年近くも売れなかった「博多んぽん酢」がどうやら、一人歩き出来そうだと感じたのはこの時でした。時間にすると20万時間ちょいでしょうか。その空白をたった5分で取り戻したことになりますが、その5分は20万時間という時間と、経験の積み重ね。沢山の人たちのおかげがあったからこそです。

 しかし、得るものがあれば、失うものはそれ以上に大きいのが世の習いです。売れれば売れただけのものをつくらなければなりません。納期の遅れは信用低下につながります。悪魔のソースは、材料の一つ一つを吟味し、仕込みにたっぷり時間をかけるので、大量につくれません。また、そうする気持ちもありません。

 ところが、現実には製造能力をはるかに上回る注文が舞い込み、それを引き受けてしまいました。ヘタをすれば粗製濫造、品質低下につながります。例えばショウガの仕込み。ミキサーでミジン切りすれば、見た目はきれいだし仕事も楽。時間の短縮にもなります。でも、小さなことですが、大手が逆立ちしてもマネできないのがここですから、手を抜くことは出来ません。放映後3日目からのお客様には、12月までお待ち頂くことにしました。本当に申し訳のないことです。

 僕がなぜ、積極的な営業をしないのか不思議に思われるでしょう。それは、悪魔のソースは、50年後を目標にしているからです。現在、創業23年ですからあと27年あります。油をナマで食べるという食文化が、日本の食生活のなかで定着するには最低、50年が必要だというのが僕の考えです。

 50年先はおろか、27年も生きられないでしょうが、どこの家にも悪魔のソースがあって刺身をドレッシングで食べることが日常化するにはそれだけの時間が必要だと思います。宣伝すれば売れることは、今回のテレビでも経験しましたが、売れればいいというものではないでしょう。

 悪魔のソースは小なりと言えども、オンリーワンです。腐りやすく日持ちのしないような商品を手がけるバカなヤツは滅多にいません。そんなバカでも生き残れるかどうか、少しだけ試して見たかったから臆面もなく初出演しました。

 さあ、大変だと知ったご近所さんが入れかわり立ち代り応援に現れました。悪魔のソースは手づくりだから、納品書も手書き。封筒の「ありがとうございました」の一言も手書きでなければ誠意がない。だれ言うともなく、仕事が動き始めました。  


Posted by 吉野父ちゃん at 13:00Comments(0)まさかの人生

2003年10月24日

18年の空白を経て

博多んぽん酢は、従来のぽん酢とは、ちょっと違います。一言で言って「ぽん酢であってぽん酢」ではありません。「ぽん酢ソース」です。「ソース」ですから、和風、洋風、中華といったジャンルを問わず、あらゆる料理に使える汎用性に優れています。うまい、マズイは人それぞれですから100%、満足してもらうことはできませんが「安全」だけは100%でなければいけません。
 
 そこで、自分なりに商品づくりのポイントを三つ、決めました。
 一つ、消えつつある郷土料理や質の良い農作物、食品を守ること。
 二つ、良質の素材を提供してくれる小規模生産者を守っていくこと。
 三つ、子供たちを含めた消費者に伝統的な味を伝えていくこと。
 小理屈を言うようですが、わかりやすく言えば、博多という地域の特性を生かした新鮮で美味しく、あれこれ便利に使えるものにしたいと考えました。

 博多という町は海にも山にも近い。魚でも野菜でも飛び切り新鮮なものが簡単に手に入ります。しかも安い。とくに、魚は種類も豊富で、最高のレベルにあるといっていいでしょう。

 なにしろ、目の前が玄界灘です。新鮮だから味付けにあれこれ気を使わなくても、素材の持ち味をストレートに生かすか、ちょっと工夫するだけで豊富な味が楽しめます。

 生でよし、煮てよし、焼いても揚げてもいい。どんな料理のしかたを選んでも、素材がいいから、なんでも美味しいのが博多です。

 こんな土地は日本中を探しても、そうザラにはありません。フク料理一つをとってみても刺身、鍋物用、から揚げ用など食べ方に応じた売り方をしているし、しかも安い。天然ものはともかく、養殖フクの刺身なら、一人前、千円も出せばおつりがきます。東京や大阪では、目の玉が飛び出るかもしれませんが、博多では日常的なお惣菜なのです。

 安くて旨いのは魚だけではありません。地鶏も、牛肉も、黒豚も旨い。博多は地理的には九州北部に位置するが、鹿児島まで車で3時間半、大分まで1時間50分、長崎なら1時間少々で行き着きます。週末になると九州中から買い物客が集まるし、野菜や肉を積んだトラックが毎日、やってくる。人もモノも博多へ、一極集中です。

 旨いものだらけのマチですから、調味料もそれに相応しいものが必要になる。美味しいだけではなく、博多らしさを感じさせる「古くて新しい」もの。
 「安全」という付加価値もつけたい。日本人にとって一番、身近な調味料と言えば醤油しかない。それなら、ぽん酢だ。酢は昔から健康に良いことで知られているのに、なぜか最近は、酢をあまり食べなくなった。なぜだろう。

  11月になると大相撲の博多場所がはじまります。この頃になるとフクとアラ美味しくなります。フグと濁らず「フク」と呼ぶのはフクが福につながる縁起ものだからで、一方のアラというのは「クエ」のこと。大きなものは1mを越える巨体ですが、白身を鍋にすると「たまらない美味しさ」で、お相撲さんが「魚が旨い博多場所は最高です」とインタービューに答える姿は微笑ましい。

 そのアラやフクちりになくてはならないのがぽん酢。もう一つの博多名物「かしわの水炊き」もぽん酢。魚も肉もぽん酢で食べるのが博多流で、ぽん酢は昔から博多っ子の生活のなかに定着していました。

 九州中の酢を集めてみると、あるある。鹿児島の黒酢を筆頭に、柿酢、米酢、ユズ酢、カボス、スダチ、ダイダイ、サトウキビ酢、ぶどう酢など目移りするほどありましたが、もっと隠れた酢があるはずだ。アンテナを張り巡らせていたら、たまたま出張先の宮崎で出会ったのが「平兵衛酢(へべ酢)」だったという話は前稿で紹介したとおりです。

 「博多んぽん酢」が、他社のぽん酢と違うのは、刻んだショウガ、大根おろし、豆板醤の3点セットがドカーンと入って、これまでのジャンルを飛び越えた新しい味が生まれたこと。この3つはそれぞれが、健康食品としての薬効成分を含有しているのはご承知のとおりです。ショウガには、血のめぐりを促進し体を温める作用があるほか、抗酸化作用もあります。唐辛子はご存知、カプサイシンですね。

 ぽん酢に腐りやすい大根おろしを入れたのも理由があります。大根には炎症を鎮める働きがあることで知られています。消化酵素の働きで胃に優しいのですが、この薬効とともに大根のテクスチャーに注目しました。

 テクスチャーという言葉を的確に表す日本語は見当たらないのですが、簡単に言うと食べ物の柔らかさ、固さのことで、食べ物を口に入れた時に感じる感触の総称とお考えください。魚や肉、野菜などそれぞれの食品が持ち合わせる素材には固いものもあれば柔らかいものもあるし、苦いものも甘いものもあります。それら、モロモロの味を楽しんでいただくのが、大根おろしであり、テクスチャーがかもし出す、まるみというか、優しさです。
 「博多んぽん酢」ならではの美味しさの秘密です。

 試しに白身の刺身をシソで巻いてぽん酢をちょこんとつけて召し上がれ。ワサビ醤油では味わえない美味しさと出会えるでしょう。焼肉カルビーやロースは、「たれ」で食べる濃厚な味とは違うさっぱりした美味しさに驚かれるでしょう。これが、博多んぽん酢とほかのぽん酢との違いです。バラエテー豊かな食べ方や使い方ができるのが特徴なのです。一本で二度、三度と違う美味しさが楽しめます。

 「博多んぽん酢」が製造休止していた18年間は飽食の時代でした。しかし、時代というものは、10年とか20年とかいう時間の流れのなかで大きく変化します。今、環境や自然、健康に人々の関心が移り、食を見直す機運が高まりました。

 「やっと出番がやって来たかな」。こんな気分に浸るとともに、新たな気持ちで、仕事に取り組んでいます。  


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2003年10月09日

悪魔の術中にはまった男「母の愛に救われる」

薩摩半島南端、流麗な開聞岳(薩摩富士)を見上げるところに鰹節工場がある。薄っすらと表面に緑色のカビを吹いたカツオ節がところ狭し並び、強烈な太陽で天日干しされている情景は壮観だ。ここ、山川町は開門岳の向こう側にある枕崎市、焼津市(静岡)とともに、カツオ節の三大産地である。

 水揚げされたカツオは丁寧に素早く解体される。それを熱湯で煮てから骨を抜き、形を整え、密閉した大きな室(ムロ)に入れ、カシやナラの薪(たきぎ)でいぶす。一度、火を落としてカツオを休ませてから、もう一度いぶすと燻製の出来上がり。

 さらに、表面をヤスリで削って整形したら、ここで初めて菌をスプレーで吹き付ける。それを、天日に当てる。三、四日もすると今度は室に入れてカビを繁殖させてやる。一本のカツオ節が出来上がるのに、ざっと半年がかりだ。

 時間をかけて乾燥と熟成を繰り返し進めることで、まろやかで濃厚なあの旨味が生まれる。微生物をうまくコントロールして生まれたカツオ節の「だし」は日本料理の原点である。

 こうしたカツオ節づくりのワザは、土佐の高知にその源流があることは意外に知られていない。昔から醤油と味醂に米酢をあわせ、カツオ節で煮出した合わせ酢のことを「土佐酢」と言ったが、読んで字のごとし。土佐が発祥の料理酢なのだ。

 江戸時代、カツオ魚で栄えた高知は最高級のカツオ節産地だった。戦後、カツオ漁が近海から赤道付近の遠洋に移るとともに、水揚げ漁港が鹿児島へ移った。高知のカツオ節業者が鹿児島へ集団移住した背景にはこうした事情があった。

 カツオ産業は衰退したが、「カツオのたたき」は日本中を席巻した。土佐酢は便利なインスタントのだし調味料に押され、影も形もなくなった。広辞苑から「土佐酢」という文字すら消えてしまった。ボクはその土佐酢の復活を願い、カツオ節を勉強するため、福岡と鹿児島の間を行ったり来たりしていた。

 それは突然やってきた。
その日は、移住した子孫を訪ねるため高速道路を走っていた。車窓に櫻島が見え隠れし始めたころ異常が現れた。ハンドルを握る左手と左足から急速に力が抜けた。少しだがマヒもあるようだ。高血圧に高脂血症という成人病を抱えていたので「脳梗塞」であることを直感した。

 初期の脳卒中は点滴で薬剤を注入する内科的治療が有効であることを知っていたので、迷わず鹿児島市立病院の救急救命センターに車ごと転がり込んだ。脳神経外科医でセンター長でもある湯浅先生に巡り合えたのは幸運だった。当直勤務が終わり、引継ぎの最中で、きわどい出会いだった。まだ「うん」に見放されていないようだった。


 「脳出血だと思います。出血部位が特定できないので、内科的な処置で血腫の広がりを抑える処置をします。明日以降、脳血管撮影などの再検査を行いますが、外科的な治療は今のところ必要ありません」と説明された。ところが夕方から、一人歩きどころか立ち上がることすらできなくなってしまった。

 翌日、回診に現れた先生の表情は固かった。
「血腫の広がりによっては脳圧が上がり、脳死に至ることがあります。手術をして血腫を取り除くことも出来ますが、マヒや言語障害など重い後遺症が残ります。脳梗塞という病気はこのように恐ろしい病気です。救急車も呼ばずに、自分で運転を続けるなんて大人のすることではありません」
気持ちが動転して青くなったが、冷静に考えると素人判断と一人よがりの行動をきつくたしなめられたのである。

 そうこうするうちに今度は、同じ病気で福岡の病院に入院中の母の容態が急変した。このままでは最期を看取ってやることができない。10日が過ぎて点滴の効果も少しずつ現れ、杖をつけばなんとか一人歩きができるようになったので、母のことを打ち明け、福岡の病院へ転院をお願いした。

 再検査の結果、新たな出血や血腫の広がりが認められなかったので、退院を許可された。危篤状態が続く母は、今日か明日だった。二週間ぶりに対面した母は鼻と口を管でつながれ、ただ「生かされて」いた。手を握ると、かすかだが握り返す力を感じた。

 臨終を告げる医者の言葉を忘れることが出来ない。
「お母さんは、息子さんの病気を背負い込んで逝かれました」と。

 病床につくとだれしも一度は死について考えるし、今度こそはこう生きたいと願う。ボクは中途半端のまま製造を中止していた『博多んぽん酢』と、「土佐酢ドレッシング」の復活に残りの人生を賭けることにした。

 自分の命と引き換えに、息子を助けてくれた母のためであり、生かされた自分のためでもある。ちょっと浪花節のようだが、すべてを白紙に戻し、一から出直す決意を固めた。

 土佐酢もぽん酢も、二十年前は時代の先端を行く商品だった。売れなかったのは、消費者にも販売側にも食品の「本質」を見抜く力がなかったからだ。添加物が入っていても便利に使えて、美味しければそれで良いという風潮だった。皆の舌が旨味調味料にだまされていた。だが、これは弱いヤツの言い訳だ。本当はオレに市場を説得する力が無かったからだ。病床で自分の非力を反省した。人間、生まれた時は裸なのだから、もう一度、裸に戻ればいい。虚栄という衣を脱ぎ捨てればいいのだ。肩のオモリがとれた。

 脳卒中患者で、完全にもとの元気な身体になって退院する人はまれだ。大多数の人は杖や補助具の助けを借りなければならない。車椅子で介護者の必要な人も珍しくない。歩いて退院したボクは、非常に幸運な一人だった。でも、この幸運がいつ不運になるかわからない。脳梗塞は再発率の高い病気だからである。

 およそ、カツオ節とは関係のない病気のことを書き連ねるのは、この種の病気が働き盛りの人間に突然、襲いかかるからである。男も女も関係ない。身体強健、予兆ゼロであっても、一度病にとりつかれると、重い後遺症が残ってしまう。私はこの事実を訴えたくて、あえて自分をさらし者にしているのである。  


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2003年09月24日

悪魔の術中にはまった男「負けるが勝ち」

プレゼント応募者から寄せられるメッセージで「仲がよろしいようで」と言うのが結構あります。写真を見れば、そんな風に見えるのかも知れませんね。でも、チャンチャンバラバラはしょっちゅうですよ。喧嘩のタネはとるに足らないものですが、夫婦喧嘩も深刻になると、味に影響するから「負けるが勝ち」。大抵はボクの方でシッポを巻きます。

 いさかいが続くと味づくりに影響します。本当ですよ。例えばミキシング作業。ドレッシングづくり最後の工程で、オイルを垂らし入れながら、ゆっくり、ゆっくりと混ぜて、醤油や酢、玉ねぎと合わせます。味を馴染ませ、バランス良く仕上げるには、一定のリズムが必要で、一番、神経を使う作業です。

 しかし、もやもやしたままでやるとうまくいきません。渦の流れに乱れが生じ、渦が大きくなったり小さくなったりします。玉杓子を回すスピードも速くなったり、遅くなったり。十分に酸素を吸わせてやれないまま、とんがった味になります。

 工場見学のお客様が昼の食事をすませて戻られたようですね。

吉野「お帰りなさい。ちょうど、良かった。お客さん、貴方、時の氏神ですね。えっ、な~に、こっちの話ですよ。これから、ミキシングを見ていただきます」

お客「大宰府天満宮に寄り道したので遅くなりました」

吉野「それは良かったですね。修学旅行が多かったでしょう。なにしろ学問の神様ですからね。こっちもしっかり勉強してくださいね。
 どうです。ちょっとやってみませんか。なにをってミキシングですよ」

お客「体験学習ですか。緊張しちゃうな」

吉野「心配しないで。ちゃーんと教えますから。
まず、この玉杓子の棒の上の方を右手で包み込むように握ってください。左手は、手を添えるように軽くね。じゃあ、杓子を時計周りに回してください」

お客「こうですか」

~いきなり、力を込めて回す。

吉野「こりゃ、ダメだ。いいですか。回せばいいというものではありませんよ。回してはダメ。右手で突いてごらんなさい。ボウルの真ん中じゃなく、ちょっと左側。そこそこ」

お客「回り始めたが、重いね。腕がだるくなっちゃった」

吉野「手を緩めたらダメですよ。肩の力を抜いて。右で突く。左手は軽く添えるだけですよ。そうそう。その調子」

~ウズが大きくなり、流れも速くなったのを確かめて

吉野「色が変わり始めたでしょう。上と下がまざってきたからです」

お客「底の方に沈んでいた醤油がウズの中心に集まり、ボウル全体に広がりましたよ。
 不思議だな。杓子は回すものだと思っていたのに、突いてやるだけで、自然に回るのですね」

吉野「本当はね、右手は棒のてっぺんに当てるだけで、握る必要はありませんが初めてでしたので、握ってもらいました。胡麻をするのも同じ要領ですよ。
 さあ、最後の工程、オイルを入れていきます。腕がなまりのようでしょうが、ここで力を緩めてはダメ」

~腕が重くなったのか、腕の力が急にぬける様子にすかさず交代の声。

吉野「今、つくっているのは<たまねぎぼうや>です。ボウルの中には醤油と玉ねぎ酢、オリゴ糖、醤油、酢が入っています。ドロドロの玉ねぎが一番下。あとは比重が重いものから順に底の方へ沈む性質があります。

 これらの基礎原料をまんべんなく混ぜ合わせ、全体の味が馴染んだら、最後にオイルを入れます。軽く回っていたのに、オイルが加わると、とたんに重くなったでしょう。天気の悪い日や、寒い日はオイルが固くなりますから、もっと重くなります。

 ここで油断すると、せっかく均一に混ざったものが元の木阿弥です。ここはただ我慢して混ぜる。たとえ腕がちぎれそうになっても我慢しなければいけません。

 もし“手づくりの味”というものがあるとすれば、それは、この“手ワザ”から生まれたものでしょう。

 交代してもらったのは、回転スピードが遅くなると、比重のバランスがくずれるからです。そのままをビン詰めすると、オイルの比重バランスが悪くなります。
 こっちはオイルが少ないのに、これは多い、というアンバランスが生じます。

 味自体にもかかわりますが、摂取カロリーも違ってきます。オイルが多ければカロリーが高くなるし、少なければ少ないで、舌ざわりやノド越しのまろやかさがなくなります」

お客「テレビの料理教室で、ドレッシングのつくり方を見ていると、分量に分けた材料をミキサーに入れスイッチオン。簡単ですね。それと同じで、ミキサーだけが超大型だと思っていました」

吉野「食品メーカーの決めた味が、日本人の味覚や美味感覚を決めていくように思います。だから、その美味しさの元はどうなっているのかを知ってもらう必要があります。

 これは、たった今、届いた<へべす>です。少し、寝かせてからぽん酢をつくります。このへべすのように、地域で眠ったままの食材に光を与えてやることも大切な仕事の一つだと考えています。

 緒方さん。長時間有難うございました。またのお出でをお待ちしてますよ」  


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2003年09月09日

悪魔の術中にはまった男「へべす」の里を訪ねて

へべすの印象があまりにも強烈だったので、予定を変えて産地を訪ねることにしました。思いついたらすぐ腰を上げる。まず、現場を訪ねて人に合い、話を聞かせてもらう。そして、目、鼻、舌の感覚で覚えたその味を脳にインプットする。

 電話でサンプルを取り寄せることは簡単ですが、生産者の顔や土地の表情を自分の目で確かめたい。農薬使用の有無を確かめることはお客様の健康に影響することだから、自分の目で確かめておきたい。小さなことだが、この小さな積み重ねが〔安全」な原料の入手につながります。

 日向市で地方記者をしている友人に電話を入れると、へべすの出荷が始まったという夕刊用の記事を書いたばかりで、資料や写真もそろっている。関係者に会えるように段取りもしてくれるという。

 食事先でへべすに出会ったのが偶然なら、生産地に友人がいたことも偶然といえば偶然。なんだか「ん」がついたようでとても嬉しかった記憶があります。アジの塩焼きをへべすで美味しく頂いて3時間後には、果樹畑に立っていました。

 日向市役所やJA日向、生産者の皆さんが勢ぞろいして待ちわびた様子でした。手際のいい手配に驚くとともに、地元の皆さんのへべすに寄せる情熱が並々ならぬことを感じました。

 へべすの栽培は、宮崎県北部の日向市を中心に隣接町村で行われています。目の前は黒潮躍る日向灘。五ヶ瀬川をさかのぼると、そこは神々の故郷、五ヶ瀬、高千穂です。毎年、秋になると高千穂の岩戸神社で夜神楽が始まり、徹夜で神楽が奉納されます。

 古来より「ひむか」太陽に向かう国。すなわち、日向の国と呼ばれる宮崎県にあって「日向」を市名にしているぐらいですから気候も温暖で、四季おりおりの果物や野菜、魚が豊富です。

 へべすを広めた長宗我部平兵衛さんは、江戸時代に日向市富高に実在したお百姓でした。庭に植わったミカン?を食べると健康に良いことから、近隣の人たちに苗木を分けてやりました。

 今度はそれを貰った人が次の人へ。そのまた次の人が今度は、娘の嫁入り道具として苗木を持たせるようになりました。こうしたことが繰り返し、繰り返し行われ「健康を守る木酢」として定着するとともに、平兵衛さんの徳を偲んで<へべす>と呼ばれる
ようになったそうです。

 へべすはユズやカボス、ダイダイなどと同じ柑橘の一種ですがそのルーツはわかりません。多分「偶発実生」したのでは無いかと言われています。「偶発」とは人の手ではなく、自然の造化により、そして「実生」とは接木や挿し木ではなく、種子が自然に発芽して、それが成長したことを言います。

 平兵衛さんは、偶発実生した原木から接木をしては近隣の人に分け与えたものと思われます。高さや幹、枝の大きさなどはユズやカボスと大差がありません。深緑の果実は直径5㌢前後で、素人にはユズかカボスか、見分けることができないくらい良く似ています。でも、味や香りはまったくの別物です。

 美味しさの基準は人それぞれですから「へべすが一番」なんて
口が裂けても言えませんが、味、香りは、おだやかで爽やか。クセのない味でした。

 「こうして飲んだらウマイですよ」
 目の前でつくってもらったヨーグルトは、とんでもないほどうまかった。コップの牛乳にへべすと砂糖を加え、シェイクしただけなのに、トロリ濃厚な舌ざわりで、真っ白なヨーグルが上唇にべったり。行儀が悪いが、それを舌でなめるようにぬぐってやる幸せ。あまりの美味しさに三杯もお代わりしてしまった。
 炎暑のなか2時間も車を飛ばした疲れも、ヨーグルトで吹っ飛んでしまいました。

 へべすは、食品としての機能性にも優れています。細胞内の酸化還元現象を活性化し、同時に細胞内の呼吸作用の調整を行う働きがあること。さらに、ここがすごいと思ったのは必須アミノ酸の含有量でした。

 人間の身体のほとんどは水分です。その次が蛋白質。その蛋白質を合成(つくる)するのがアミノ酸です。アミノ酸は約20種類ありますが、そのうち9種類のアミノ酸は<必須>アミノ酸と呼ばれています。

 この必須アミノ酸は、人間が体内で自由につくることが出来ず、必ず食品から補給しなければならないから<必須>と呼ばれています。へべすには9種類ある必須アミノ酸のうち、8種類が含有されています。アミノ酸を含む食品のなかでも群を抜いています。

 スレオニン、バリン、メチオニン、イソロイチンロイシン、フェニルアラニン、リジンヒスチジンの8種類です。蛋白質は毎日、合成と分解を繰り返していrますので、それを構成するアミノ酸も毎日、補給する必要があります。

 平兵衛さんは、こんあ身体の栄養メカニズムまでご存知なかったでしょうが、へべすを日常的に摂取することが健康に良いことを体験的に知り、普及に努めたのです。

 山あいにあるへべすの発祥地には、平兵衛さんの顕彰碑と栽培の歩みを記した記念碑がありました。  


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2003年08月24日

悪魔の術中にはまった男「平兵衛酢」との出会い

工場見学のお客様帰ってこられた? 昼メシ、ゆっくりだね。それじゃあ、宮崎で出会った「平兵衛酢」の話をしましょうか。

 「博多んぽん酢」を18年ぶりに再発売しようと決意したのは、平成13年9月。宮崎で、ヘベ酢という不思議な名前の柑橘酢にめぐり会ったからでした。
 
 出張してなにが楽しいといえばそれはもう、食べることです。夏の宮崎を代表する名物は<冷汁>です。目の前にある日向灘で獲れたばかりの新鮮な魚を火で炙り、ほぐした身に豆腐と味噌を加えよく擂りながら、冷たい水かだしでのばしていく。さらに、さらに、キュウリ、ミョウガ、青シソを混ぜ合わせ、熱々のご飯にかけて、かき込むようにして食べる。下品は表現だが、これがメチャウマ。
 
 昼メシはこれに決めたが、問題は何処で食べるのかだ。土地不案内だから、地元の人に聞くのが一番手っとり早いが、どうもお仕着せを食べるようで面白くない。当たり外れはあるだろうが、やはり、自分の足で探すのが一番だ。

 美味しいものを食べたいという一念で歩けば、ウマイものの方から飛び込んでくる。こらまで、あまり勘が狂ったことがない。この日は正にそうでした。デパートを出て、繁華街のへ歩きながら、鼻をヒクヒク、看板やのれんを目で探す。これが、実に楽しい。もすぐ美味しいものが食べられると思うとツバが湧いてきます。

 その小料理屋さんは、磨き込まれた引き戸の木目がきれいで、両脇に置き塩がありました。こざっぱりした木綿の白のれんに骨太に描かれた魚の文字が踊っていました。

 出されたのはアジの冷汁でした。青シソの香が食欲をそそり、シャキシャキした歯応えがするキュウリも良かったが、ナスの漬物が絶品でした。ああ、極楽、極楽。今、日本人しているんだ。そう思っちゃった。こんな、思わぬ出合いが旅の醍醐味です。

 平兵衛酢は、別注文したキスゴの塩焼きに添えられていました。濃い緑の平兵衛酢の脇には雪のような大根おろし。色のコントラストも見事だが、青磁の皿に、そっくりかえるように横たわる白い魚体。老舗の小料理屋の夫婦の手仕事。もてなしの心が伝わってきました。

 その、平兵衛酢ですが、最初はユズかなと思いました。ボトボトという感じで果汁がしたたり落ちました。ピューっと飛ぶなんてもんじゃありません。ドクドク、ボトボト。音で表現するとこんな感じでしょうか。

 カボスやスダチなどの柑橘を搾るとき。無意識のうちに指三本を使いますね。親指と人差し指ではさみ、もう一本、薬指を添え、親指で押すようにして搾りますね。誰に教えられるというものでもなく、毎日の食生活のなかで自然に身体が覚えた知恵です。

 洋食で、ムニエルやフライを頼むとタルタルソースの脇に搾り器に入れたレモンがついてきますね。搾り汁が指先を汚すこともないし、力が均等に働くのでなかなか合理的です。

 これ、ぼくは嫌いです。確かに、手は汚れますが、それをなめてみて酸味や香りを確かめる。これが文化であって、金属や陶器の助けを借りて食べるものは、五感で食べる味よりもはるかに劣ります。

 果皮が薄いのにも驚きました。1㍉あるかないくらいです、柑橘みかんにつきものの種がほとんどありません。味も香も爽やかで格調ある酸味です。とんがった酸っぱさでなく。おだやかでまるみがあります。白身が淡白なキスゴですが、味に広がりを感じました。ユズ、カボス、スダチ、レモン、ダイダイ、ライムいろんな味を知っていましたが、平兵衛酢はこれまでの経験にない味でした。

 よし。これだ。これでやろう。この酢に人生の<ん>を賭けてみよう。運がつくか、運の尽きとなるのか。もう一度「博多んぽん酢」を再登場させよう。初めて出会ったお酢が背中をポンと押してくれました。

 「お客さん、どちらからですか。随分、お気に召したようですね。それ、へべ酢といいます。ユズやカボスと同じ柑橘ですがちょっと違うでしょう」
「これで湯豆腐食べたら美味しいでしょうね」
「ちょうど、今が旬でね。11月までです。ウチでは、搾った果汁を冷凍にして冬はぽん酢醤油にします。」
「冷凍にして味は変わりません?」
「果汁をそのまま使うのではなく、醤油やだしで割りますので解凍さえうまくやれば大丈夫。一年中、使えますよ」

 ヘベ酢の名前の由来はこの酢の栽培に力を注いだ長宗我部平兵衛さんの名前からで、地元では<へべ酢>と呼ぶこと。生産地は県北の日向市一帯だが、生産者の高齢化や後継者不足など、国内農業が抱える問題がすべて凝縮、蓄積され先行きが不透明。このままでは、貴重な文化遺産が消滅してしまう。

 「消費が増えれば生産意欲も湧きます。お客さん、是非、お土産にしてくださいね」
へべ酢に寄せるご主人の、熱い想いが心に沁みた旅でした。  


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2003年08月08日

悪魔の術中にはまった男・その3

今日は「博多んぽん酢」の製造と「土佐酢ドレッシング」の仕込みの様子を見学していただきましょう。

吉野・・ここが作業場です。真ん中にある大きな台、右端に大きなステンレスのボウルがありますね。中を見てください。おっとっと、帽子を御願いしますね。髪の毛が入ったら大変ですからね。
真っ白でしょう。大根おろしです。今から酢を入れますよ。ひたひたに、表面がかぶるぐらいです。このまま、一時間ぐらいこの状態を保ちます。いいですね、これが、酢〆です。酢の殺菌力を利用する方法です。酢を上手に利用して、食品の鮮度を保つようにしたのが、シメサバですね。酢は昔から、殺菌剤として利用されてきました。暮らしのなかで生まれた生活の知恵です。

お客・・赤い色はなんですか。底の方から、赤いものが沁み出ましたね。

吉野・・豆板醤です。これも、防腐剤の代わりです。殺菌に使うのはこれだけではありません。今から、魔法をお見せしますよ。

お客・・ひょっとすると、ノウハウ公開ですか?

吉野・・そっちのボウルは新ショウガです。ちょうど、今が旬ですね。(スライサーでショウガを1㍉の厚さにスライスしながら)
スライスしたものを、今度は繊にきります。千切りではありません。大根やキャベツを細い線に切りそろえることを、千切りといいますね。でもね、<繊>に切るのと<千>に切るのは違います。

お客・・どう違うのですか。

吉野・・ショウガの繊維がこう走っていますね。ここの部分を切ると繊維を断ち切る。繊維に沿うように切るとこうなります。
違いが判りますか。お客さん、目が悪いや。天眼鏡、持ってきてよ。さあ、よく見てください。

お客・・こっちはきれいなのに、これは切り口がギザギザだ。

吉野・・試しに食べてみませんか。どうです。判るでしょう。

お客・・いやあ。まいったね。辛味も香りもまるで別物。違いますね。

吉野・・辛味成分の「シネオール」が効いているからですよ。ミキサーでやれば、簡単ですが、一瞬のうちに繊維を断ち切って、ぐちゃぐちゃにしてしまうから、微妙な味なんて出せる筈がありません。ついでに言えば、ショウガには、血行を良くする働きがあるほか、抗酸化作用があり、老化防止にもなります。寿司屋やラーメン屋に入ったら、ショウガは積極的に食べてくださいね。

お客・・それにしても手間のかかる仕事ですね。もっと、機械化すれば能率があがるのになあ。

吉野・・今、切ったショウガは500㌘です。二人で30分ってとこでしょうか。でもね、大根の処理はもっと大変ですよ。全体の作業量を10とすると、大根をすって殺菌する。ショウガを処理するといった下処理に要する時間が5ぐらい。この部分で手を抜くとロクナものはできませんからね。あとは調合液の中に入れて、かき回し、全体に味が馴染んだところで、最後にもう一度、ショウガを加えます。いいえ、今度は、しぼり汁です。これで、味が引き立ちます。

お客・・ガス台の寸胴鍋で炊いてるのは?

吉野・・さっきから、カツオ節のいい香りがしてるでしょう。(冷蔵庫から大鍋を出しながら)これは、土佐酢のベースになるぽん酢です。スダチ果汁と醤油をブレンドしたものに昆布を漬け込んであります。昆布は利尻です。今、炊いているのは、醤油と味醂、米酢をブレンドしたものをカツオ節で炊いています。これが「土佐酢」の原液です。カツオ節の一大産地、高知でこの技法が生まれたので、カツオ節で出来た調合酢のことを「土佐酢」と呼ぶようになったのです。

お客・・その、土佐酢の故郷、高知で売り出すことになったそうですね。

吉野・・おかげ様で、今月8日から発売が始まりました。やっと里帰りすることが出来ました。今、ご覧のように、丁寧にアクをとってやることが大切です。火加減も大切ですね。どのくらいの温度でどにくらいの時間、炊けばいいか。決まりはありません。その日、その日、鍋の機嫌をうかがいながら、炊きます。ここまでの工程が下準備です。

お客・・さっきから、あちらで刻んでいるのはカツオ節ですか。

吉野・・目が早いですね。工場見学のお土産に差し上げますが、カツオ節のダシガラで佃煮を作ります。いいえ、売り物ではありません。まだ、十分に二番だしが引けます。それを捨てるのはもったいないし、資源のムダ使いになる。捨てればゴミですから、環境も悪くなる。それで、佃煮にしてるわけです。

お客・・土佐酢は昔、デパートにあったのに今はない。なぜですか。

吉野・・博多んぽん酢にしろ、土佐酢にしろ、混じりけなしの超ナマものでしょう。お客様も売り手の百貨店さんも、デリケートな扱いが必要なものに馴染んでおられないので、店頭販売していないだけですが、業務用は今でも製造中です。ただ、一般のお客様はこの商品はご存知ないと思います。今回、高知に里帰りできたのは、ホームページで、土佐酢のことを知られた酒屋の店長さんが、電話してこられ、こちらも、お世話になろうかという気持ちになったからです。

お客・・土佐酢の復活、期待していいですか。

吉野・・ハイ。年内には再発売します。

お客・・それにしても、宣伝しませんね。パンフレットの一枚も無いし、ダイレクトメールも来た事がない。それで、よく20年以上も続きましたね。

吉野・・無言で頭を下げるばかり。

お客・・いかん。もう、こんな時間だ。ヒルメシすませたらまた来ます。今日は、最後までじっくり見学させてもらいますよ。  


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2003年07月24日

悪魔の術中にはまった男・その2

こんにちは。今日は、昔からの悪魔のファンの方が訪ねてこられましたので、嬉しい訪問客との対話でお話を進めてみたいと思います。

お客・・初めまして。私、昔から、悪魔のフアンです。ホームページの<まさかの人生>を読んで、もっと話を聞きたくなってお訪ねしました。
 
吉野・・(お客の顔をマジマジと見ながら)
それはそれは。こちらへどうぞ。人様へお聞かせするような話ではありませんが、まあ、せっかくですから、少しばかりお話し製造の様子も見ていただきましょう。

お客・・申し遅れましたが、私、緒方です。福岡市の西区に居ります。

吉野・・それでは、早速、話を始めましょう。
初めての商品は<土佐酢ドレッシング>で、昭和56年に発売
しました。二番目が、今、売出し中の<博多んぽん酢>です。

お客・・ああ、あれ。トサズ、日本で初めて大根おろしの入ったドレッシングですね。確か、大丸でしたね。

吉野・・そうです。昆布と鰹節でキチンと出しを引いたベースソースに、別に仕込んでおいたぽん酢醤油を合わせ、大根おろしを加えた和風のタレにサラダオイルを少し加え、洋風のドレッシングにしました。

お客・・ベースソースって、どんなのですか。

吉野・・醤油と味醂と酢を合わせたものに昆布とかつお節を入れ、煮出して出しをとったものです。まあ、旨味の元となるのがこれです。土佐酢というのは、かつお節で出しを引く技術が、四国の高知県を中心に広まったことから、地名にちなんで、土佐酢と呼ぶようになったそうです。

今では、同じような商品が数多く出回っていますが、当時は悪魔のソースだけ。サンデー毎日がグラビヤ写真で紹介してくれ、瞬く間に、有名になりました。
この時、記事を書いてくれた記者は定年退職してからも忘れず注文してくれる大切なお客様の一人です。

お客・・ネーミングも強烈。一度、聞けば忘れませんね。

吉野・・名前で損をしたか、得したかと聞かれたら、これはもう得しましたね。名前は確かに気味悪いが、商品は天使のように優しくて美味しいじゃないかというわけです。皆さん、もう熱烈なフアンです。本当に悪魔のトリコになっちゃってる。それをまた、皆さん、楽しんでおられる。ありがたいですね。

日本のダシは昆布とかつお節の組み合わせです。昆布のグルタミン酸と、かつお節のイノシン酸という二種類の旨味成分が合わさると、味の相乗効果で驚くほど深い味になります。

この二つの旨味成分の工業化により「ハイミー」や「いの一番」などのインスタントダシがうまれました。味噌汁や煮つけ料にインスタント出しは手軽に使え、料理の上手、ヘタにかかわらず、一定の美味しさをつくれるようになりました。

お客・・家庭から、かつお節の削り器が姿を消すようになったのもこのごろからですね。

吉野・・確かに便利になりましたが、なんだか寂しいな。昔、削りに削って、あめ色になった小さな破片をしゃぶった、あの味がとても懐かしく、貴重に思えました。

お客・・それが、有名になった「悪魔の囁き」ですか?

吉野・・「お前、素人なんだから大手が出来ないことをやるしかないのじゃない」とまあ、こういう風に言われたわけです。

よっしゃ。それじゃ、人のやらないことをやろう、と始めたのが、商品の日持ちを良くする一切の方法に頼らない<ナマ>ドレッシングでした。ですから、防腐剤などの添加物も入れないし、日持ちを良くするための「火入れ」をして殺菌することもしませんでした。翌年には「博多んぽん酢」を追加発売しました。どちらも、ぽん酢タイプで、大根おろしが入るという共通点はありましたが、土佐酢がオイルの入ったド
レッシングタイプでいわば洋風ですが、博多んぽん酢は、純和風のぽん酢醤油にしました。

お客・・ところで、吉野さんは脱サラですって?

吉野・・40歳過ぎての脱サラです。素人だから、思い切ったものが作れたのですが、今、考えると無鉄砲なことをしたものです。

脱サラって格好いいじゃないですか。でも、現実は大変ですよ。たまに「ボク脱サラしたいのですが」なんて相談されることがありますが、命がけでやるならおやんなさいと言うと、大抵、しり込みしますね。

お客・・吉野さんも苦しかった?

吉野・・ボクはともかく、家内には随分と苦労をさせましたね。
脱サラし、会社を立ち上げたのですが、事業目論見に失敗し、たこ焼き屋と回転饅頭の親父になっちゃった。
家内にとっては、サラリーマンをやめたショックも癒えないのに「まさか、まさか」の連続でしょう。
サラーリーマンの女房から、たこ焼き屋になったと思ったら、今度は自分で、たこ焼きを焼くようになるなんて、夢にも思わなかったそうです。

お客・・わかる、わかる。奥さんの気持ち。

吉野・・店は二店ありました。一つは、福岡の中心地、天神にある地下商店街の一角。もう一店は、博多駅にあるデパートです。特大のブツきりタコと皮からはみ出るほど、たっぷり入った餡子が大評判。地の利にも恵まれ面白いほど売れました。

お客・・それなのに、たこ焼き屋をやめてしまう。なぜですか。

吉野・・儲かるたこ焼き屋は女房に任せて、喰いっぷちだけは確保する。そして、次の仕事にとりかかる。これが、常識っていうものですね。周囲の人間から、随分、止められました。

お客・・ほっほ・・・・。

吉野・・人のやらないことをやるのは確かに男の仕事として魅力的だ。しかし、賢いヤツはお前の失敗を見ながら、美味しいところだけ浚ってしまうよ。その時きゃ、お前、もうよれよれだよ。
そう、そのとおりです。よれよれになるか、ならないか。今がまさにその時。毎日、毎日がとても刺激的で、楽しいのです。  


Posted by 吉野父ちゃん at 11:00Comments(0)まさかの人生