悪魔のソース・博多んぽん酢を新しい博多の名物にしたい。老人のかなわぬ夢でなく、夢を現実にしてみたい。脳梗塞から三度の生還。ヨレヨレ、ボロボロになりながら、果たせぬ夢を追い続ける男に、強力な助っ人が現れた。平凡だったそれまでの人生が「まさか」の出来事で、がらりと変わる。一度ならまだしも、それが二度も三度も続いた。波乱万丈だが実に、愉快だった。人生の終末期を迎えた今、またもや「まさか」の驚きである。ヒルマン監督ではないけれど、信じられな~いのだ。人生、終わり良ければすべて良しなのだが、それはまだわからない。

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2007年09月17日

焼肉のたれ


 ひょんなことから、焼肉のたれをつくることになった。昔、味噌味と醤油味の焼肉ドレッシングを作っていたのだが、思うように売れなかった。もう一度、挑戦しようというわけである。話は飛ぶが・・・・。
 
 昨日、大分県の日田温泉で簗場の鮎を満喫した帰途、福岡県杷木町の道の駅「原鶴」に立ち寄った。新鮮野菜がウリだから、それを美味しく食べさすドレッシングがあって当然だが、目についたのは、焼肉のたれだった。

 結論から言うと、味、品質、価格ともに最高。「まいりました」と脱帽した。この種商品が、採算優先で作られているのが現実だが、久しぶりに志の高いものに出会った。ちなみに、生産者は「友波会」。ラベル記載の品質表示からも只者でないことが解る。

 日本で「焼肉」という料理が認知されたのは、昭和40年代以降。背景として、朝鮮半島における韓国と北朝鮮の対立が、在日朝鮮人社会にも影響した。それまでは、ほとんどが「朝鮮料理屋」とか「ホルモン屋」などと呼ばれていた。どこがどう違うのかさっぱり解らなかった。

 朝鮮では、火で焼いて食べる肉のことを「プルコギ」と言い、日本語では焼肉であった。やがて、フランチャイズ形式の焼肉屋や、高級焼肉店が雨後の竹の子のように現れた。そのルーツをたどってみれば、焼肉のたれとニンニクの相関関係がよく解る。

 たれの世界に変化の兆しを感じる。新たなニーズに」挑んでみようと思う。今日は、敬老の日である。

 
   


Posted by 吉野父ちゃん at 12:35Comments(0)うまい話・食えない話