悪魔のソース・博多んぽん酢を新しい博多の名物にしたい。老人のかなわぬ夢でなく、夢を現実にしてみたい。脳梗塞から三度の生還。ヨレヨレ、ボロボロになりながら、果たせぬ夢を追い続ける男に、強力な助っ人が現れた。平凡だったそれまでの人生が「まさか」の出来事で、がらりと変わる。一度ならまだしも、それが二度も三度も続いた。波乱万丈だが実に、愉快だった。人生の終末期を迎えた今、またもや「まさか」の驚きである。ヒルマン監督ではないけれど、信じられな~いのだ。人生、終わり良ければすべて良しなのだが、それはまだわからない。

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2009年10月18日

今週の出来事 10・12~10・18

 秋風が立ち始めると気が滅入る。冬の前触れを感じるからだが、一つだけ嬉しいことがあって、それは鍋のシーズンが始まるからだ。西日本一の歓楽街である福岡・中州のど真ん中。交番の前に「右こん」という割烹があった。神戸から転勤して来た日の夜、初めて食べたのが「いわし鍋」。ショウガと大根おろしの入ったぽん酢にくぐらせて食べた。そのぽん酢が、ボクの生活を支えることになるとは夢にも思わぬことだった。

 野村監督に一面識もないが、「ノムさん」はボクの心の中にずっとあった。
 昭和38年春、滋賀県大津市の新聞社支局に赴任した。担当したのは琵琶湖西岸と延暦寺だった。行政区画上、比叡山は山頂が京都市、延暦寺は大津市にあった。入社したばかりの新米記者は、宗教記事を書く気などサラサラない。生半可な人間に書けるはずもない。
 でも、新米だから書ける話がある。なにも知らないということは新米の財産である。知らないからこそ聞くのだ。時には頓珍漢を聞くことがあるだろう。正確な記事を書くのはボクの義務だが、それを誤らせぬようにするのは寺側の責任である。一つ一つの積み重ねが財産を増やすのです。無茶苦茶言って宗教の世界に飛び込んだ。
 
 ある日。野村の話を聞いた。
 
 京都の田舎の高校で、野球をやったが芽がでない。南海ホークスにテスト生で拾って貰ってから、道が開き始めた。苦しいとき、迷いが生じると仏に会いに来るのだが、見るたびに大きくなる姿に驚く。大器晩成とは彼のためにある。

 比叡山には、悩みを抱える人々が上ってくる。知られていないが、芸能、政界、財界の超有名人たちが多い。僧侶になった人もいる。瀬戸内寂聴さんもその一人だ。

 組織の一員として、庇護された世界に身を置くものにとって、正直、ノムさんのような生き方が羨ましかった。結局、ノムさんとはすれ違いのままだが、ノムさんはその僧の予言通り、大輪の花を咲かせた。
 
 ノムさんの、野球人生のすべてを賭けた戦いが始まる。  


Posted by 吉野父ちゃん at 13:08Comments(0)