2010年06月03日
悪魔のソースの復活なるか
食品問屋の人が来て、言うことには
「高級スーパーと生協から、悪魔のソースの引き合いがある。どうでしょう、取引できませんか?」
消費不況の昨今、嬉しい話だ。
「ああ、いいですとも」
と即座に応じた。この種の話は、過去何度もあった。実際に取引が成立して、商品が並び始めた。ところが、長続きしなかった。いつの間にやら、消滅したのである。なぜなのか。どんな商品にもつけられるようになった、あのバーコードのためだ。あれで、日々の売上が即座に見えるようになってしまったため、熱烈なフアンがいても、少数でたまにしか売れないようなものは、抹殺されたのだ。
国民皆中流の食生活ができたのは、昭和30年代以降、神武景気という経済成長のステップを踏んでからの事である。インスタント食品が一般化した時代で、極論すれば、インスタントが食品が家庭の味を作ったのだ。これが、日本人をだめにした。
私が今、手がけているものは図抜けたものではない。昔は、どこの家にもあったものである。それを、時代に合わせて調理法や味付けを変えている。人々の嗜好はどんどん変わっていく。時代に合わせて、一番旨いを提供すれば良い。
先日のテレビ出演は、改めてそのことを教えてくれた。
「高級スーパーと生協から、悪魔のソースの引き合いがある。どうでしょう、取引できませんか?」
消費不況の昨今、嬉しい話だ。
「ああ、いいですとも」
と即座に応じた。この種の話は、過去何度もあった。実際に取引が成立して、商品が並び始めた。ところが、長続きしなかった。いつの間にやら、消滅したのである。なぜなのか。どんな商品にもつけられるようになった、あのバーコードのためだ。あれで、日々の売上が即座に見えるようになってしまったため、熱烈なフアンがいても、少数でたまにしか売れないようなものは、抹殺されたのだ。
国民皆中流の食生活ができたのは、昭和30年代以降、神武景気という経済成長のステップを踏んでからの事である。インスタント食品が一般化した時代で、極論すれば、インスタントが食品が家庭の味を作ったのだ。これが、日本人をだめにした。
私が今、手がけているものは図抜けたものではない。昔は、どこの家にもあったものである。それを、時代に合わせて調理法や味付けを変えている。人々の嗜好はどんどん変わっていく。時代に合わせて、一番旨いを提供すれば良い。
先日のテレビ出演は、改めてそのことを教えてくれた。