悪魔のソース・博多んぽん酢を新しい博多の名物にしたい。老人のかなわぬ夢でなく、夢を現実にしてみたい。脳梗塞から三度の生還。ヨレヨレ、ボロボロになりながら、果たせぬ夢を追い続ける男に、強力な助っ人が現れた。平凡だったそれまでの人生が「まさか」の出来事で、がらりと変わる。一度ならまだしも、それが二度も三度も続いた。波乱万丈だが実に、愉快だった。人生の終末期を迎えた今、またもや「まさか」の驚きである。ヒルマン監督ではないけれど、信じられな~いのだ。人生、終わり良ければすべて良しなのだが、それはまだわからない。

スポンサーサイト

上記の広告は2週間以上更新のないブログに表示されています。 新しい記事を書くことで広告が消せます。  

Posted by スポンサー広告 at

2010年08月27日

高校野球から学んだこと

 13-1と大差のついた甲子園決勝。その、大差のワケは?。スポーツライターの柳川悠二さんの分析記事を読んで、改めて、「平常心」の大切さを教えられた。少し長くなるが紹介しよう。

 沖縄・興南の島袋投手の甲子園の夏は、春の選抜優勝後から始まった。
 酷暑での連投に耐えるため、雨合羽をユニホームの下に着込み練習した。本当の敵は相手じゃない。暑さだ。勝負の明暗を分けるのは、炎暑の甲子園での連投に負けない気力と体力作りにある。島袋の戦略だった。200球もの投げ込みを連日行った。

 一方、東海大相模の一二三投手。33年ぶりの夏の大会に出場するのが精一杯な時間を過ごしていた。4月に行われた試合で、相手打者の頭にデッドボールを当てて以来、オーバースローから投げるボールが右方向に抜けてしまう、いわゆるイップス(後遺症)に苦しんでいた。

 5月に沖縄で行われた招待試合で、島袋のフォームにヒントを得てサイドスローに転向したのも、この後遺症から抜け出すため。剛速球を捨ててでも、高校最後の夏を乗り切る為の決断だった。

 マウンドに上がる事だけに苦心した一二三投手と、夏にピークを合わせた島袋投手。両エースが、決勝戦のマウンドにたどり着くまでの差が「13-1」という結果を残したのかもしれない。

 私も今、ソース屋人生最後の仕事に取り組んでいる。吉と出るか凶と出るか。それはまだ解らないが、「もったいない」という名前をつけたカツオのつくだ煮が答えを出してくれるだろう。9月はしばらく入院する。体力と気力の総点検である。

 




  


Posted by 吉野父ちゃん at 07:30Comments(0)まさかの人生