悪魔のソース・博多んぽん酢を新しい博多の名物にしたい。老人のかなわぬ夢でなく、夢を現実にしてみたい。脳梗塞から三度の生還。ヨレヨレ、ボロボロになりながら、果たせぬ夢を追い続ける男に、強力な助っ人が現れた。平凡だったそれまでの人生が「まさか」の出来事で、がらりと変わる。一度ならまだしも、それが二度も三度も続いた。波乱万丈だが実に、愉快だった。人生の終末期を迎えた今、またもや「まさか」の驚きである。ヒルマン監督ではないけれど、信じられな~いのだ。人生、終わり良ければすべて良しなのだが、それはまだわからない。

2003年10月09日

悪魔の術中にはまった男「母の愛に救われる」

薩摩半島南端、流麗な開聞岳(薩摩富士)を見上げるところに鰹節工場がある。薄っすらと表面に緑色のカビを吹いたカツオ節がところ狭し並び、強烈な太陽で天日干しされている情景は壮観だ。ここ、山川町は開門岳の向こう側にある枕崎市、焼津市(静岡)とともに、カツオ節の三大産地である。

 水揚げされたカツオは丁寧に素早く解体される。それを熱湯で煮てから骨を抜き、形を整え、密閉した大きな室(ムロ)に入れ、カシやナラの薪(たきぎ)でいぶす。一度、火を落としてカツオを休ませてから、もう一度いぶすと燻製の出来上がり。

 さらに、表面をヤスリで削って整形したら、ここで初めて菌をスプレーで吹き付ける。それを、天日に当てる。三、四日もすると今度は室に入れてカビを繁殖させてやる。一本のカツオ節が出来上がるのに、ざっと半年がかりだ。

 時間をかけて乾燥と熟成を繰り返し進めることで、まろやかで濃厚なあの旨味が生まれる。微生物をうまくコントロールして生まれたカツオ節の「だし」は日本料理の原点である。

 こうしたカツオ節づくりのワザは、土佐の高知にその源流があることは意外に知られていない。昔から醤油と味醂に米酢をあわせ、カツオ節で煮出した合わせ酢のことを「土佐酢」と言ったが、読んで字のごとし。土佐が発祥の料理酢なのだ。

 江戸時代、カツオ魚で栄えた高知は最高級のカツオ節産地だった。戦後、カツオ漁が近海から赤道付近の遠洋に移るとともに、水揚げ漁港が鹿児島へ移った。高知のカツオ節業者が鹿児島へ集団移住した背景にはこうした事情があった。

 カツオ産業は衰退したが、「カツオのたたき」は日本中を席巻した。土佐酢は便利なインスタントのだし調味料に押され、影も形もなくなった。広辞苑から「土佐酢」という文字すら消えてしまった。ボクはその土佐酢の復活を願い、カツオ節を勉強するため、福岡と鹿児島の間を行ったり来たりしていた。

 それは突然やってきた。
その日は、移住した子孫を訪ねるため高速道路を走っていた。車窓に櫻島が見え隠れし始めたころ異常が現れた。ハンドルを握る左手と左足から急速に力が抜けた。少しだがマヒもあるようだ。高血圧に高脂血症という成人病を抱えていたので「脳梗塞」であることを直感した。

 初期の脳卒中は点滴で薬剤を注入する内科的治療が有効であることを知っていたので、迷わず鹿児島市立病院の救急救命センターに車ごと転がり込んだ。脳神経外科医でセンター長でもある湯浅先生に巡り合えたのは幸運だった。当直勤務が終わり、引継ぎの最中で、きわどい出会いだった。まだ「うん」に見放されていないようだった。


 「脳出血だと思います。出血部位が特定できないので、内科的な処置で血腫の広がりを抑える処置をします。明日以降、脳血管撮影などの再検査を行いますが、外科的な治療は今のところ必要ありません」と説明された。ところが夕方から、一人歩きどころか立ち上がることすらできなくなってしまった。

 翌日、回診に現れた先生の表情は固かった。
「血腫の広がりによっては脳圧が上がり、脳死に至ることがあります。手術をして血腫を取り除くことも出来ますが、マヒや言語障害など重い後遺症が残ります。脳梗塞という病気はこのように恐ろしい病気です。救急車も呼ばずに、自分で運転を続けるなんて大人のすることではありません」
気持ちが動転して青くなったが、冷静に考えると素人判断と一人よがりの行動をきつくたしなめられたのである。

 そうこうするうちに今度は、同じ病気で福岡の病院に入院中の母の容態が急変した。このままでは最期を看取ってやることができない。10日が過ぎて点滴の効果も少しずつ現れ、杖をつけばなんとか一人歩きができるようになったので、母のことを打ち明け、福岡の病院へ転院をお願いした。

 再検査の結果、新たな出血や血腫の広がりが認められなかったので、退院を許可された。危篤状態が続く母は、今日か明日だった。二週間ぶりに対面した母は鼻と口を管でつながれ、ただ「生かされて」いた。手を握ると、かすかだが握り返す力を感じた。

 臨終を告げる医者の言葉を忘れることが出来ない。
「お母さんは、息子さんの病気を背負い込んで逝かれました」と。

 病床につくとだれしも一度は死について考えるし、今度こそはこう生きたいと願う。ボクは中途半端のまま製造を中止していた『博多んぽん酢』と、「土佐酢ドレッシング」の復活に残りの人生を賭けることにした。

 自分の命と引き換えに、息子を助けてくれた母のためであり、生かされた自分のためでもある。ちょっと浪花節のようだが、すべてを白紙に戻し、一から出直す決意を固めた。

 土佐酢もぽん酢も、二十年前は時代の先端を行く商品だった。売れなかったのは、消費者にも販売側にも食品の「本質」を見抜く力がなかったからだ。添加物が入っていても便利に使えて、美味しければそれで良いという風潮だった。皆の舌が旨味調味料にだまされていた。だが、これは弱いヤツの言い訳だ。本当はオレに市場を説得する力が無かったからだ。病床で自分の非力を反省した。人間、生まれた時は裸なのだから、もう一度、裸に戻ればいい。虚栄という衣を脱ぎ捨てればいいのだ。肩のオモリがとれた。

 脳卒中患者で、完全にもとの元気な身体になって退院する人はまれだ。大多数の人は杖や補助具の助けを借りなければならない。車椅子で介護者の必要な人も珍しくない。歩いて退院したボクは、非常に幸運な一人だった。でも、この幸運がいつ不運になるかわからない。脳梗塞は再発率の高い病気だからである。

 およそ、カツオ節とは関係のない病気のことを書き連ねるのは、この種の病気が働き盛りの人間に突然、襲いかかるからである。男も女も関係ない。身体強健、予兆ゼロであっても、一度病にとりつかれると、重い後遺症が残ってしまう。私はこの事実を訴えたくて、あえて自分をさらし者にしているのである。

同じカテゴリー(まさかの人生)の記事
 test (2014-06-18 18:08)
 これまでのことこれからのこと。 (2012-07-06 14:57)
 高校野球から学んだこと (2010-08-27 07:30)
 社長の私の責任です。 (2010-08-23 06:14)
 悪魔のソースの復活なるか (2010-06-03 07:55)
 続・三度目の正直 (2010-02-09 21:46)

Posted by 吉野父ちゃん at 10:00│Comments(0)まさかの人生
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。