悪魔のソース・博多んぽん酢を新しい博多の名物にしたい。老人のかなわぬ夢でなく、夢を現実にしてみたい。脳梗塞から三度の生還。ヨレヨレ、ボロボロになりながら、果たせぬ夢を追い続ける男に、強力な助っ人が現れた。平凡だったそれまでの人生が「まさか」の出来事で、がらりと変わる。一度ならまだしも、それが二度も三度も続いた。波乱万丈だが実に、愉快だった。人生の終末期を迎えた今、またもや「まさか」の驚きである。ヒルマン監督ではないけれど、信じられな~いのだ。人生、終わり良ければすべて良しなのだが、それはまだわからない。

2004年11月12日

平兵衛酢(へべす)を訪ねて日向への旅

 ぽん酢の味を決めるのは柑橘酢です。
ユズ、スダチ、カボスが九州の代表的な柑橘ですが、宮崎で「平兵衛酢(へべす)」に出会ってからたちまち、その味のとりこになりました。酸味がまろやかで、ノドに優しい。酢独特、あのツーンとする刺激がない。小さな子供が酢を食べる不思議がありました。

 柑橘類が裏年だった昨年は、収穫量も少なかったが、今年は、玉なりが良く、果汁もたっぷり。近年にない出来ばえだそう。もう一つ、嬉しかったのは、鮎が豊漁らしい。香ばしく火の通った鮎に、もぎたてのへべすをかけて食べてみたい。動機はちょっと不順だったが、産地の日向市を訪ねたのは夏の終わりでした。
 三月に脳出血で倒れてから、病院暮らしが続いていたが、心に染み入るような味な旅になりました。

 市役所で、助役代行の黒木久典氏に生産状況を聞きました。謹厳実直そうな表情だが、眼が笑っている。へべすのことを話すのが、楽しくて仕方がないといった表情です。
「今年は豊作です。何度か台風が来たのに、珍しく被害がありませんでした。みかんやぶどう、梨も助かりました。ただ、野菜は全滅です。台風に弱いへべすやみかんは風の方で避けてくれたようです」。

 へべす畑へ向かいました。案内されたのは見晴らしのいい高台の畑。車のドアを開けると潮風に土の匂いが混ざっています。振り返って見ると、眼下は黒潮躍る日向灘。日当たり抜群で、柑橘の生育には絶好の土地柄です。鮮やかな緑の枝をかき分けながら畑に入りました。ゴルフボールより少し大き目のへべすは、はちきれんばかり。ナイフを入れるとしぶきが飛びました。

 夕方、日向市から延岡市へ向かいました。五ヶ瀬川沿いのホテルへ。部屋の窓から眺める川は水量が豊かで、流れは悠々として風格さえ感じます。五ヶ瀬川というのは、上流の高千穂町から、下流の延岡市まで、五つの瀬があることからで、鮎の友釣りが有名。解禁日には全国から太公望が集まるそうです。

 夜は念のため、へべすを三つ、ポケットに忍ばせました。宮崎でも、へべすを知らない人がいると言われるぐらいだから、へべすを知らない板前がいるかも知れない。そんな心配をしたのです。へべすは、江戸時代に、平兵衛というお爺さんが、山で自生しているのを見つけ、育てたのが始まり。日向市、東郷町、門川町の三つの市町村だけで細々栽培され、外部に出ませんでした。へべすがユズやカボスに比べ、メジャーになれなかった理由です。

 大事に持ち帰ったへべすで作った博多んぽん酢は、お客様に喜んでもらいました。京都市右京区から頂いた岩崎有希子さんのお便りには「さっそく、豚しゃぶをしました。一番搾りは初めてだが、まろやかで一層、美味しく頂きました」と書いてありました。

 大阪・平野区の村山雅子さんは「大阪に嫁いで20年になります。初めての味に懐かしい故郷を思い出しました」と書いてくださいました。お客様の顔は知らないが、想像する楽しさ。一刻値千金のひとときであります。

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Posted by 吉野父ちゃん at 12:00│Comments(0)まさかの人生
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