2003年07月24日
悪魔の術中にはまった男・その2
こんにちは。今日は、昔からの悪魔のファンの方が訪ねてこられましたので、嬉しい訪問客との対話でお話を進めてみたいと思います。
お客・・初めまして。私、昔から、悪魔のフアンです。ホームページの<まさかの人生>を読んで、もっと話を聞きたくなってお訪ねしました。
吉野・・(お客の顔をマジマジと見ながら)
それはそれは。こちらへどうぞ。人様へお聞かせするような話ではありませんが、まあ、せっかくですから、少しばかりお話し製造の様子も見ていただきましょう。
お客・・申し遅れましたが、私、緒方です。福岡市の西区に居ります。
吉野・・それでは、早速、話を始めましょう。
初めての商品は<土佐酢ドレッシング>で、昭和56年に発売
しました。二番目が、今、売出し中の<博多んぽん酢>です。
お客・・ああ、あれ。トサズ、日本で初めて大根おろしの入ったドレッシングですね。確か、大丸でしたね。
吉野・・そうです。昆布と鰹節でキチンと出しを引いたベースソースに、別に仕込んでおいたぽん酢醤油を合わせ、大根おろしを加えた和風のタレにサラダオイルを少し加え、洋風のドレッシングにしました。
お客・・ベースソースって、どんなのですか。
吉野・・醤油と味醂と酢を合わせたものに昆布とかつお節を入れ、煮出して出しをとったものです。まあ、旨味の元となるのがこれです。土佐酢というのは、かつお節で出しを引く技術が、四国の高知県を中心に広まったことから、地名にちなんで、土佐酢と呼ぶようになったそうです。
今では、同じような商品が数多く出回っていますが、当時は悪魔のソースだけ。サンデー毎日がグラビヤ写真で紹介してくれ、瞬く間に、有名になりました。
この時、記事を書いてくれた記者は定年退職してからも忘れず注文してくれる大切なお客様の一人です。
お客・・ネーミングも強烈。一度、聞けば忘れませんね。
吉野・・名前で損をしたか、得したかと聞かれたら、これはもう得しましたね。名前は確かに気味悪いが、商品は天使のように優しくて美味しいじゃないかというわけです。皆さん、もう熱烈なフアンです。本当に悪魔のトリコになっちゃってる。それをまた、皆さん、楽しんでおられる。ありがたいですね。
日本のダシは昆布とかつお節の組み合わせです。昆布のグルタミン酸と、かつお節のイノシン酸という二種類の旨味成分が合わさると、味の相乗効果で驚くほど深い味になります。
この二つの旨味成分の工業化により「ハイミー」や「いの一番」などのインスタントダシがうまれました。味噌汁や煮つけ料にインスタント出しは手軽に使え、料理の上手、ヘタにかかわらず、一定の美味しさをつくれるようになりました。
お客・・家庭から、かつお節の削り器が姿を消すようになったのもこのごろからですね。
吉野・・確かに便利になりましたが、なんだか寂しいな。昔、削りに削って、あめ色になった小さな破片をしゃぶった、あの味がとても懐かしく、貴重に思えました。
お客・・それが、有名になった「悪魔の囁き」ですか?
吉野・・「お前、素人なんだから大手が出来ないことをやるしかないのじゃない」とまあ、こういう風に言われたわけです。
よっしゃ。それじゃ、人のやらないことをやろう、と始めたのが、商品の日持ちを良くする一切の方法に頼らない<ナマ>ドレッシングでした。ですから、防腐剤などの添加物も入れないし、日持ちを良くするための「火入れ」をして殺菌することもしませんでした。翌年には「博多んぽん酢」を追加発売しました。どちらも、ぽん酢タイプで、大根おろしが入るという共通点はありましたが、土佐酢がオイルの入ったド
レッシングタイプでいわば洋風ですが、博多んぽん酢は、純和風のぽん酢醤油にしました。
お客・・ところで、吉野さんは脱サラですって?
吉野・・40歳過ぎての脱サラです。素人だから、思い切ったものが作れたのですが、今、考えると無鉄砲なことをしたものです。
脱サラって格好いいじゃないですか。でも、現実は大変ですよ。たまに「ボク脱サラしたいのですが」なんて相談されることがありますが、命がけでやるならおやんなさいと言うと、大抵、しり込みしますね。
お客・・吉野さんも苦しかった?
吉野・・ボクはともかく、家内には随分と苦労をさせましたね。
脱サラし、会社を立ち上げたのですが、事業目論見に失敗し、たこ焼き屋と回転饅頭の親父になっちゃった。
家内にとっては、サラリーマンをやめたショックも癒えないのに「まさか、まさか」の連続でしょう。
サラーリーマンの女房から、たこ焼き屋になったと思ったら、今度は自分で、たこ焼きを焼くようになるなんて、夢にも思わなかったそうです。
お客・・わかる、わかる。奥さんの気持ち。
吉野・・店は二店ありました。一つは、福岡の中心地、天神にある地下商店街の一角。もう一店は、博多駅にあるデパートです。特大のブツきりタコと皮からはみ出るほど、たっぷり入った餡子が大評判。地の利にも恵まれ面白いほど売れました。
お客・・それなのに、たこ焼き屋をやめてしまう。なぜですか。
吉野・・儲かるたこ焼き屋は女房に任せて、喰いっぷちだけは確保する。そして、次の仕事にとりかかる。これが、常識っていうものですね。周囲の人間から、随分、止められました。
お客・・ほっほ・・・・。
吉野・・人のやらないことをやるのは確かに男の仕事として魅力的だ。しかし、賢いヤツはお前の失敗を見ながら、美味しいところだけ浚ってしまうよ。その時きゃ、お前、もうよれよれだよ。
そう、そのとおりです。よれよれになるか、ならないか。今がまさにその時。毎日、毎日がとても刺激的で、楽しいのです。
お客・・初めまして。私、昔から、悪魔のフアンです。ホームページの<まさかの人生>を読んで、もっと話を聞きたくなってお訪ねしました。
吉野・・(お客の顔をマジマジと見ながら)
それはそれは。こちらへどうぞ。人様へお聞かせするような話ではありませんが、まあ、せっかくですから、少しばかりお話し製造の様子も見ていただきましょう。
お客・・申し遅れましたが、私、緒方です。福岡市の西区に居ります。
吉野・・それでは、早速、話を始めましょう。
初めての商品は<土佐酢ドレッシング>で、昭和56年に発売
しました。二番目が、今、売出し中の<博多んぽん酢>です。
お客・・ああ、あれ。トサズ、日本で初めて大根おろしの入ったドレッシングですね。確か、大丸でしたね。
吉野・・そうです。昆布と鰹節でキチンと出しを引いたベースソースに、別に仕込んでおいたぽん酢醤油を合わせ、大根おろしを加えた和風のタレにサラダオイルを少し加え、洋風のドレッシングにしました。
お客・・ベースソースって、どんなのですか。
吉野・・醤油と味醂と酢を合わせたものに昆布とかつお節を入れ、煮出して出しをとったものです。まあ、旨味の元となるのがこれです。土佐酢というのは、かつお節で出しを引く技術が、四国の高知県を中心に広まったことから、地名にちなんで、土佐酢と呼ぶようになったそうです。
今では、同じような商品が数多く出回っていますが、当時は悪魔のソースだけ。サンデー毎日がグラビヤ写真で紹介してくれ、瞬く間に、有名になりました。
この時、記事を書いてくれた記者は定年退職してからも忘れず注文してくれる大切なお客様の一人です。
お客・・ネーミングも強烈。一度、聞けば忘れませんね。
吉野・・名前で損をしたか、得したかと聞かれたら、これはもう得しましたね。名前は確かに気味悪いが、商品は天使のように優しくて美味しいじゃないかというわけです。皆さん、もう熱烈なフアンです。本当に悪魔のトリコになっちゃってる。それをまた、皆さん、楽しんでおられる。ありがたいですね。
日本のダシは昆布とかつお節の組み合わせです。昆布のグルタミン酸と、かつお節のイノシン酸という二種類の旨味成分が合わさると、味の相乗効果で驚くほど深い味になります。
この二つの旨味成分の工業化により「ハイミー」や「いの一番」などのインスタントダシがうまれました。味噌汁や煮つけ料にインスタント出しは手軽に使え、料理の上手、ヘタにかかわらず、一定の美味しさをつくれるようになりました。
お客・・家庭から、かつお節の削り器が姿を消すようになったのもこのごろからですね。
吉野・・確かに便利になりましたが、なんだか寂しいな。昔、削りに削って、あめ色になった小さな破片をしゃぶった、あの味がとても懐かしく、貴重に思えました。
お客・・それが、有名になった「悪魔の囁き」ですか?
吉野・・「お前、素人なんだから大手が出来ないことをやるしかないのじゃない」とまあ、こういう風に言われたわけです。
よっしゃ。それじゃ、人のやらないことをやろう、と始めたのが、商品の日持ちを良くする一切の方法に頼らない<ナマ>ドレッシングでした。ですから、防腐剤などの添加物も入れないし、日持ちを良くするための「火入れ」をして殺菌することもしませんでした。翌年には「博多んぽん酢」を追加発売しました。どちらも、ぽん酢タイプで、大根おろしが入るという共通点はありましたが、土佐酢がオイルの入ったド
レッシングタイプでいわば洋風ですが、博多んぽん酢は、純和風のぽん酢醤油にしました。
お客・・ところで、吉野さんは脱サラですって?
吉野・・40歳過ぎての脱サラです。素人だから、思い切ったものが作れたのですが、今、考えると無鉄砲なことをしたものです。
脱サラって格好いいじゃないですか。でも、現実は大変ですよ。たまに「ボク脱サラしたいのですが」なんて相談されることがありますが、命がけでやるならおやんなさいと言うと、大抵、しり込みしますね。
お客・・吉野さんも苦しかった?
吉野・・ボクはともかく、家内には随分と苦労をさせましたね。
脱サラし、会社を立ち上げたのですが、事業目論見に失敗し、たこ焼き屋と回転饅頭の親父になっちゃった。
家内にとっては、サラリーマンをやめたショックも癒えないのに「まさか、まさか」の連続でしょう。
サラーリーマンの女房から、たこ焼き屋になったと思ったら、今度は自分で、たこ焼きを焼くようになるなんて、夢にも思わなかったそうです。
お客・・わかる、わかる。奥さんの気持ち。
吉野・・店は二店ありました。一つは、福岡の中心地、天神にある地下商店街の一角。もう一店は、博多駅にあるデパートです。特大のブツきりタコと皮からはみ出るほど、たっぷり入った餡子が大評判。地の利にも恵まれ面白いほど売れました。
お客・・それなのに、たこ焼き屋をやめてしまう。なぜですか。
吉野・・儲かるたこ焼き屋は女房に任せて、喰いっぷちだけは確保する。そして、次の仕事にとりかかる。これが、常識っていうものですね。周囲の人間から、随分、止められました。
お客・・ほっほ・・・・。
吉野・・人のやらないことをやるのは確かに男の仕事として魅力的だ。しかし、賢いヤツはお前の失敗を見ながら、美味しいところだけ浚ってしまうよ。その時きゃ、お前、もうよれよれだよ。
そう、そのとおりです。よれよれになるか、ならないか。今がまさにその時。毎日、毎日がとても刺激的で、楽しいのです。
Posted by 吉野父ちゃん at 11:00│Comments(0)
│まさかの人生
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