2003年11月25日
テレビ狂想曲・その2
博多んぽん酢が紹介されたのは、大阪朝日放送の朝の情報番組「おはよう朝日です」の<全国うまいもの取り寄せコーナー>。この番組は、関西で人気上昇中とかで視聴率が10%を越えるそうだ。デイレクターからの連絡では、取り寄せコナーは今回が4回目。博多んぽん酢はトップ登場の予定だそうだ。
デイレクターというのは、企画を考え実際に取材に出て、構成を練り、編集しプロデユーサーのチエックを経たたうえで放送する。いわば、番組づくりの現場責任者である。
今回の企画は「鍋」。15分間という時間の枠内で3件が紹介されるそうだ。ぽん酢はうちだけで、あとは鍋の材料となる肉と魚だそうだ。
単純に考えると15分で3件だから、1件あたり5分という計算になるが、途中にコマーシャルが入るから3分も放送してもらえれば大成功と言わなければなるまい。トップ登場というのはあくまで予定だから、予定を確定にし、たとえ30秒でもいいから長く取り上げてもらいたい、そう願っていた。
そもそも、「博多んぽん酢」が目に止まったのは、インターネットでぽん酢を検索し「悪魔のソース」という強烈なネーミングに驚き、ホームページにたどり着いたというのが事の発端。本当に仕事の出来る人間は一部を見ない。現場へでかけ、全体を見てから構成や取材の段取りを考えるものだ。
話が飛ぶが、全体を見て判断するということの大切さを学んだのは新聞記者をしていた時だった。公金を使い込んだ役人が、逃亡先の北海道から大阪空港へ護送されてきた。飛行機がスポットに停止して、ドアが開くと、カメラマンがポジションを確保するため、タラップの周辺に群がった。
我が社のカメラマンは、悠然としたまま。びくともしない。やがて、乗客の一番最後から犯人が現れた。「よっしゃ」と我がカメラマンは、脚立を立てたとおもったら、望遠レンズで「パシャッ」たったの一枚だけ。わずか2,3秒ほどの早業だった。
夕刊社会面のトップには、両手錠をかけられた犯人とそれを取り囲むようにして群がるカメラマンや飛行機が一枚の写真の中に見事にまとまっていた。臨場感あふれる写真がすべてを伝え、記事は必要ないほどだった。
「ええか、火事でも殺しでも、現場へ行ったら一番高いところから全体を見ろ。そうすれば、見えないものが見えてくる」そう教わったのである。
話を戻して・・。
取材に訪れたデイレクターの仕事は、高台に上って大宰府市の全体を見下ろすことから始まった。土地の空気に触れ、風音を聞きながら想を練ったようだった。それからの仕事は次から次と手際よく進められた。旅番組や旨い店の取材で目にするカメラ、音声、照明の3人でチームを組んで仕事をするのがテレビの取材だと思っていたのに、一人三役だった。さすが大阪。一人でようやるわ、というのが正直な感想だった。
放送はたった5分でもテープを回すのは5時間も6時間もかかる。時間をかけてとったものを、2秒とか3秒とかにカットし、つなぎ合わせる。放送終了後、ビデオで検証すると20秒とか30秒単位で撮影された場面ごとの映像が、切り刻まれて一本にまとまるプロセスがありありと見え、テレビの魔術に触れた思いだった。
意外だったのは、実際にスタジオに鍋を持ち込んで試食会が行われ、それが同時進行で流されたことである。
「なんやこれ。悪魔と違うやんか。悪魔やから、もっと辛いのかと思ったのに、味が深い。いままでのぽん酢と全然、ちゃうわ」
このコメントは強烈に作用した。ダニエルカール氏やアナウンサーが、それぞれの言葉で、自分なりに感じた美味しさを自分の言葉で伝えてくれた。
お世辞と本音は敏感にわかる。新聞や雑誌では「旨い」と表現するにはせいぜい美辞麗句を並べたてる以外にないが、テレビでは「旨い」と本当に思ったら、顔の表情や声のトーン、目の動き、ハシの使い方までが忙しくなる。
メルマガで放送予定を流したせいか、テレビをご覧頂いたお客様からのお祝いメールが届いたのも嬉しい出来事だった。
なかでも、お祝いと赤字で書いたノシをレイアウトした手作りメールを送ってくれた大阪の小学5年生の女の子からのメールは最高に嬉しかった。(トップ頁トピックスで紹介しています)
以前、その子のお母さんからのメールで、悪魔のトリコになった娘さんの話を聞いてはいたが、ビデオを見て素直な気持ちを伝えてくれた、その子の優しさが身に染みた。
とかく広告媒体としての役割や効果が重視されるテレビの世界にあって、こんな心の交流を体験できたことは望外の幸せだった。
テレビは一過性で、ブームが過ぎるのは早いといわれる。初めて体験したテレビ通販だったが、放送終了後10日目くらいから、悪魔のソース本来のお客様の来店が増え始めた。
嵐が過ぎ去るのを待っていて下さったお客様たちだ。
手づくりとはなにか。ほかのぽん酢に比べ、つくり方や材料がどう違うのか。肝心な味はどうなのか。作っているのはどんな人間で、なにを考えているのか。
テレビは私たちの姿を赤裸々に見せてくれた。
これからも、これまでどおり、当たり前のことを当たり前にやるだけである。
デイレクターというのは、企画を考え実際に取材に出て、構成を練り、編集しプロデユーサーのチエックを経たたうえで放送する。いわば、番組づくりの現場責任者である。
今回の企画は「鍋」。15分間という時間の枠内で3件が紹介されるそうだ。ぽん酢はうちだけで、あとは鍋の材料となる肉と魚だそうだ。
単純に考えると15分で3件だから、1件あたり5分という計算になるが、途中にコマーシャルが入るから3分も放送してもらえれば大成功と言わなければなるまい。トップ登場というのはあくまで予定だから、予定を確定にし、たとえ30秒でもいいから長く取り上げてもらいたい、そう願っていた。
そもそも、「博多んぽん酢」が目に止まったのは、インターネットでぽん酢を検索し「悪魔のソース」という強烈なネーミングに驚き、ホームページにたどり着いたというのが事の発端。本当に仕事の出来る人間は一部を見ない。現場へでかけ、全体を見てから構成や取材の段取りを考えるものだ。
話が飛ぶが、全体を見て判断するということの大切さを学んだのは新聞記者をしていた時だった。公金を使い込んだ役人が、逃亡先の北海道から大阪空港へ護送されてきた。飛行機がスポットに停止して、ドアが開くと、カメラマンがポジションを確保するため、タラップの周辺に群がった。
我が社のカメラマンは、悠然としたまま。びくともしない。やがて、乗客の一番最後から犯人が現れた。「よっしゃ」と我がカメラマンは、脚立を立てたとおもったら、望遠レンズで「パシャッ」たったの一枚だけ。わずか2,3秒ほどの早業だった。
夕刊社会面のトップには、両手錠をかけられた犯人とそれを取り囲むようにして群がるカメラマンや飛行機が一枚の写真の中に見事にまとまっていた。臨場感あふれる写真がすべてを伝え、記事は必要ないほどだった。
「ええか、火事でも殺しでも、現場へ行ったら一番高いところから全体を見ろ。そうすれば、見えないものが見えてくる」そう教わったのである。
話を戻して・・。
取材に訪れたデイレクターの仕事は、高台に上って大宰府市の全体を見下ろすことから始まった。土地の空気に触れ、風音を聞きながら想を練ったようだった。それからの仕事は次から次と手際よく進められた。旅番組や旨い店の取材で目にするカメラ、音声、照明の3人でチームを組んで仕事をするのがテレビの取材だと思っていたのに、一人三役だった。さすが大阪。一人でようやるわ、というのが正直な感想だった。
放送はたった5分でもテープを回すのは5時間も6時間もかかる。時間をかけてとったものを、2秒とか3秒とかにカットし、つなぎ合わせる。放送終了後、ビデオで検証すると20秒とか30秒単位で撮影された場面ごとの映像が、切り刻まれて一本にまとまるプロセスがありありと見え、テレビの魔術に触れた思いだった。
意外だったのは、実際にスタジオに鍋を持ち込んで試食会が行われ、それが同時進行で流されたことである。
「なんやこれ。悪魔と違うやんか。悪魔やから、もっと辛いのかと思ったのに、味が深い。いままでのぽん酢と全然、ちゃうわ」
このコメントは強烈に作用した。ダニエルカール氏やアナウンサーが、それぞれの言葉で、自分なりに感じた美味しさを自分の言葉で伝えてくれた。
お世辞と本音は敏感にわかる。新聞や雑誌では「旨い」と表現するにはせいぜい美辞麗句を並べたてる以外にないが、テレビでは「旨い」と本当に思ったら、顔の表情や声のトーン、目の動き、ハシの使い方までが忙しくなる。
メルマガで放送予定を流したせいか、テレビをご覧頂いたお客様からのお祝いメールが届いたのも嬉しい出来事だった。
なかでも、お祝いと赤字で書いたノシをレイアウトした手作りメールを送ってくれた大阪の小学5年生の女の子からのメールは最高に嬉しかった。(トップ頁トピックスで紹介しています)
以前、その子のお母さんからのメールで、悪魔のトリコになった娘さんの話を聞いてはいたが、ビデオを見て素直な気持ちを伝えてくれた、その子の優しさが身に染みた。
とかく広告媒体としての役割や効果が重視されるテレビの世界にあって、こんな心の交流を体験できたことは望外の幸せだった。
テレビは一過性で、ブームが過ぎるのは早いといわれる。初めて体験したテレビ通販だったが、放送終了後10日目くらいから、悪魔のソース本来のお客様の来店が増え始めた。
嵐が過ぎ去るのを待っていて下さったお客様たちだ。
手づくりとはなにか。ほかのぽん酢に比べ、つくり方や材料がどう違うのか。肝心な味はどうなのか。作っているのはどんな人間で、なにを考えているのか。
テレビは私たちの姿を赤裸々に見せてくれた。
これからも、これまでどおり、当たり前のことを当たり前にやるだけである。
2003年11月10日
テレビ狂想曲・その1
みのもんた氏が、「コレ、健康にいいよ」と紹介するだけで、その商品がスーパーの店頭から姿を消すそうです。悪魔のソース「博多んぽん酢」も、初めてテレビに出演しましたがその魔術に翻弄(ほんろう)されました。以下はそのテレビ狂想曲のてん末。
大阪朝日放送の朝の情報番組「おはよう朝日」で「博多んぽん酢」が紹介されたのは10月29日の朝でした。原材料の紹介、製造風景。それらに必要な器具の紹介。作り手の思想や顔がインタービューを交えながら要領よく紹介されました。できたての「博多んぽん酢」がスタジオに持ち込まれ、試食風景がナマ放送されました。
テレビ取材を引き受けたのは次のような理由からです。
●悪魔のソースというネーミングの再検証と確認。
●大根おろしやショウガ入りの純ナマぽん酢が、ぽん酢の味にうるさい関西人の舌に受け入れられるかどうか。
●価格にシビアな関西人に味と価格の判断を仰ぐ。とりわけ、庶民的な気風が強い南大阪での反応が知りたい。
「ぽん酢やはんでっか。今、テレビ見てんねんけどネ、あれ、送ってくれはらへん」
最初の電話は午前7時43分でした。
この時、画面は、ボールに大根おろしやしょうがを入れ、醤油を加えながら、玉杓子で全体を混ぜ合わせる場面が写し出されていました。ステンレスの容器に玉杓子があたる「シャッツ、シャッツ」という音が聞こえます。玉杓子を回すスピードが速くなるにつれ、摩擦音が短く、早くなります。
文章にすると「機械ではなく人の手でつくります」と表現するところでしょう。でも、抽象的な表現で良くわかりませんね。テレビでは、それが一目瞭然。しかも、リアルタイムで写し出されます。掛け合う言葉が聞こえるし、器具がぶつかり合う音まで美味しく聞こえます。テレビの「魔術」です。文章ではリアルに伝えることが難しい場面ですが、テレビは、渦の巻き方まで写しだします。
電話が鳴り始めたのは、商品名と申し込み先が画面の下の方へテロップで流れ始めた時でした。後日、ビデオを検証して判明しました。
不思議で面白い現象が起こり始めたのは昼前からでした。北九州市や福岡市内の人たちからの電話が増えてきました。テレビを見た人が、いくらかけてもつながらない電話に業をにやし、福岡の親元や知人に逆情報を流したのです。
電話を受けた福岡の人が、今度は市内のデパートに問い合わせの電話を入れ、電話を受けたデパートから、在庫を確認して追加注文が入る・・・。情報が一人歩きを始め、それが次第に増幅しました。
午後になると3人のお客様が住所を頼りに訪ねて来られました。京都や大阪からの逆情報が流れたからです。わずか数時間の間に人と金が、地域の経済圏を越えて動き始めたのです。これが、テレビの威力です。
何度も書いているので「またか」と言われそうですが、20年近くも売れなかった「博多んぽん酢」がどうやら、一人歩き出来そうだと感じたのはこの時でした。時間にすると20万時間ちょいでしょうか。その空白をたった5分で取り戻したことになりますが、その5分は20万時間という時間と、経験の積み重ね。沢山の人たちのおかげがあったからこそです。
しかし、得るものがあれば、失うものはそれ以上に大きいのが世の習いです。売れれば売れただけのものをつくらなければなりません。納期の遅れは信用低下につながります。悪魔のソースは、材料の一つ一つを吟味し、仕込みにたっぷり時間をかけるので、大量につくれません。また、そうする気持ちもありません。
ところが、現実には製造能力をはるかに上回る注文が舞い込み、それを引き受けてしまいました。ヘタをすれば粗製濫造、品質低下につながります。例えばショウガの仕込み。ミキサーでミジン切りすれば、見た目はきれいだし仕事も楽。時間の短縮にもなります。でも、小さなことですが、大手が逆立ちしてもマネできないのがここですから、手を抜くことは出来ません。放映後3日目からのお客様には、12月までお待ち頂くことにしました。本当に申し訳のないことです。
僕がなぜ、積極的な営業をしないのか不思議に思われるでしょう。それは、悪魔のソースは、50年後を目標にしているからです。現在、創業23年ですからあと27年あります。油をナマで食べるという食文化が、日本の食生活のなかで定着するには最低、50年が必要だというのが僕の考えです。
50年先はおろか、27年も生きられないでしょうが、どこの家にも悪魔のソースがあって刺身をドレッシングで食べることが日常化するにはそれだけの時間が必要だと思います。宣伝すれば売れることは、今回のテレビでも経験しましたが、売れればいいというものではないでしょう。
悪魔のソースは小なりと言えども、オンリーワンです。腐りやすく日持ちのしないような商品を手がけるバカなヤツは滅多にいません。そんなバカでも生き残れるかどうか、少しだけ試して見たかったから臆面もなく初出演しました。
さあ、大変だと知ったご近所さんが入れかわり立ち代り応援に現れました。悪魔のソースは手づくりだから、納品書も手書き。封筒の「ありがとうございました」の一言も手書きでなければ誠意がない。だれ言うともなく、仕事が動き始めました。
大阪朝日放送の朝の情報番組「おはよう朝日」で「博多んぽん酢」が紹介されたのは10月29日の朝でした。原材料の紹介、製造風景。それらに必要な器具の紹介。作り手の思想や顔がインタービューを交えながら要領よく紹介されました。できたての「博多んぽん酢」がスタジオに持ち込まれ、試食風景がナマ放送されました。
テレビ取材を引き受けたのは次のような理由からです。
●悪魔のソースというネーミングの再検証と確認。
●大根おろしやショウガ入りの純ナマぽん酢が、ぽん酢の味にうるさい関西人の舌に受け入れられるかどうか。
●価格にシビアな関西人に味と価格の判断を仰ぐ。とりわけ、庶民的な気風が強い南大阪での反応が知りたい。
「ぽん酢やはんでっか。今、テレビ見てんねんけどネ、あれ、送ってくれはらへん」
最初の電話は午前7時43分でした。
この時、画面は、ボールに大根おろしやしょうがを入れ、醤油を加えながら、玉杓子で全体を混ぜ合わせる場面が写し出されていました。ステンレスの容器に玉杓子があたる「シャッツ、シャッツ」という音が聞こえます。玉杓子を回すスピードが速くなるにつれ、摩擦音が短く、早くなります。
文章にすると「機械ではなく人の手でつくります」と表現するところでしょう。でも、抽象的な表現で良くわかりませんね。テレビでは、それが一目瞭然。しかも、リアルタイムで写し出されます。掛け合う言葉が聞こえるし、器具がぶつかり合う音まで美味しく聞こえます。テレビの「魔術」です。文章ではリアルに伝えることが難しい場面ですが、テレビは、渦の巻き方まで写しだします。
電話が鳴り始めたのは、商品名と申し込み先が画面の下の方へテロップで流れ始めた時でした。後日、ビデオを検証して判明しました。
不思議で面白い現象が起こり始めたのは昼前からでした。北九州市や福岡市内の人たちからの電話が増えてきました。テレビを見た人が、いくらかけてもつながらない電話に業をにやし、福岡の親元や知人に逆情報を流したのです。
電話を受けた福岡の人が、今度は市内のデパートに問い合わせの電話を入れ、電話を受けたデパートから、在庫を確認して追加注文が入る・・・。情報が一人歩きを始め、それが次第に増幅しました。
午後になると3人のお客様が住所を頼りに訪ねて来られました。京都や大阪からの逆情報が流れたからです。わずか数時間の間に人と金が、地域の経済圏を越えて動き始めたのです。これが、テレビの威力です。
何度も書いているので「またか」と言われそうですが、20年近くも売れなかった「博多んぽん酢」がどうやら、一人歩き出来そうだと感じたのはこの時でした。時間にすると20万時間ちょいでしょうか。その空白をたった5分で取り戻したことになりますが、その5分は20万時間という時間と、経験の積み重ね。沢山の人たちのおかげがあったからこそです。
しかし、得るものがあれば、失うものはそれ以上に大きいのが世の習いです。売れれば売れただけのものをつくらなければなりません。納期の遅れは信用低下につながります。悪魔のソースは、材料の一つ一つを吟味し、仕込みにたっぷり時間をかけるので、大量につくれません。また、そうする気持ちもありません。
ところが、現実には製造能力をはるかに上回る注文が舞い込み、それを引き受けてしまいました。ヘタをすれば粗製濫造、品質低下につながります。例えばショウガの仕込み。ミキサーでミジン切りすれば、見た目はきれいだし仕事も楽。時間の短縮にもなります。でも、小さなことですが、大手が逆立ちしてもマネできないのがここですから、手を抜くことは出来ません。放映後3日目からのお客様には、12月までお待ち頂くことにしました。本当に申し訳のないことです。
僕がなぜ、積極的な営業をしないのか不思議に思われるでしょう。それは、悪魔のソースは、50年後を目標にしているからです。現在、創業23年ですからあと27年あります。油をナマで食べるという食文化が、日本の食生活のなかで定着するには最低、50年が必要だというのが僕の考えです。
50年先はおろか、27年も生きられないでしょうが、どこの家にも悪魔のソースがあって刺身をドレッシングで食べることが日常化するにはそれだけの時間が必要だと思います。宣伝すれば売れることは、今回のテレビでも経験しましたが、売れればいいというものではないでしょう。
悪魔のソースは小なりと言えども、オンリーワンです。腐りやすく日持ちのしないような商品を手がけるバカなヤツは滅多にいません。そんなバカでも生き残れるかどうか、少しだけ試して見たかったから臆面もなく初出演しました。
さあ、大変だと知ったご近所さんが入れかわり立ち代り応援に現れました。悪魔のソースは手づくりだから、納品書も手書き。封筒の「ありがとうございました」の一言も手書きでなければ誠意がない。だれ言うともなく、仕事が動き始めました。