悪魔のソース・博多んぽん酢を新しい博多の名物にしたい。老人のかなわぬ夢でなく、夢を現実にしてみたい。脳梗塞から三度の生還。ヨレヨレ、ボロボロになりながら、果たせぬ夢を追い続ける男に、強力な助っ人が現れた。平凡だったそれまでの人生が「まさか」の出来事で、がらりと変わる。一度ならまだしも、それが二度も三度も続いた。波乱万丈だが実に、愉快だった。人生の終末期を迎えた今、またもや「まさか」の驚きである。ヒルマン監督ではないけれど、信じられな~いのだ。人生、終わり良ければすべて良しなのだが、それはまだわからない。

2003年11月10日

テレビ狂想曲・その1

みのもんた氏が、「コレ、健康にいいよ」と紹介するだけで、その商品がスーパーの店頭から姿を消すそうです。悪魔のソース「博多んぽん酢」も、初めてテレビに出演しましたがその魔術に翻弄(ほんろう)されました。以下はそのテレビ狂想曲のてん末。

 大阪朝日放送の朝の情報番組「おはよう朝日」で「博多んぽん酢」が紹介されたのは10月29日の朝でした。原材料の紹介、製造風景。それらに必要な器具の紹介。作り手の思想や顔がインタービューを交えながら要領よく紹介されました。できたての「博多んぽん酢」がスタジオに持ち込まれ、試食風景がナマ放送されました。

 テレビ取材を引き受けたのは次のような理由からです。
●悪魔のソースというネーミングの再検証と確認。
●大根おろしやショウガ入りの純ナマぽん酢が、ぽん酢の味にうるさい関西人の舌に受け入れられるかどうか。
●価格にシビアな関西人に味と価格の判断を仰ぐ。とりわけ、庶民的な気風が強い南大阪での反応が知りたい。

 「ぽん酢やはんでっか。今、テレビ見てんねんけどネ、あれ、送ってくれはらへん」
 最初の電話は午前7時43分でした。
 この時、画面は、ボールに大根おろしやしょうがを入れ、醤油を加えながら、玉杓子で全体を混ぜ合わせる場面が写し出されていました。ステンレスの容器に玉杓子があたる「シャッツ、シャッツ」という音が聞こえます。玉杓子を回すスピードが速くなるにつれ、摩擦音が短く、早くなります。

 文章にすると「機械ではなく人の手でつくります」と表現するところでしょう。でも、抽象的な表現で良くわかりませんね。テレビでは、それが一目瞭然。しかも、リアルタイムで写し出されます。掛け合う言葉が聞こえるし、器具がぶつかり合う音まで美味しく聞こえます。テレビの「魔術」です。文章ではリアルに伝えることが難しい場面ですが、テレビは、渦の巻き方まで写しだします。

 電話が鳴り始めたのは、商品名と申し込み先が画面の下の方へテロップで流れ始めた時でした。後日、ビデオを検証して判明しました。

 不思議で面白い現象が起こり始めたのは昼前からでした。北九州市や福岡市内の人たちからの電話が増えてきました。テレビを見た人が、いくらかけてもつながらない電話に業をにやし、福岡の親元や知人に逆情報を流したのです。

 電話を受けた福岡の人が、今度は市内のデパートに問い合わせの電話を入れ、電話を受けたデパートから、在庫を確認して追加注文が入る・・・。情報が一人歩きを始め、それが次第に増幅しました。

 午後になると3人のお客様が住所を頼りに訪ねて来られました。京都や大阪からの逆情報が流れたからです。わずか数時間の間に人と金が、地域の経済圏を越えて動き始めたのです。これが、テレビの威力です。

 何度も書いているので「またか」と言われそうですが、20年近くも売れなかった「博多んぽん酢」がどうやら、一人歩き出来そうだと感じたのはこの時でした。時間にすると20万時間ちょいでしょうか。その空白をたった5分で取り戻したことになりますが、その5分は20万時間という時間と、経験の積み重ね。沢山の人たちのおかげがあったからこそです。

 しかし、得るものがあれば、失うものはそれ以上に大きいのが世の習いです。売れれば売れただけのものをつくらなければなりません。納期の遅れは信用低下につながります。悪魔のソースは、材料の一つ一つを吟味し、仕込みにたっぷり時間をかけるので、大量につくれません。また、そうする気持ちもありません。

 ところが、現実には製造能力をはるかに上回る注文が舞い込み、それを引き受けてしまいました。ヘタをすれば粗製濫造、品質低下につながります。例えばショウガの仕込み。ミキサーでミジン切りすれば、見た目はきれいだし仕事も楽。時間の短縮にもなります。でも、小さなことですが、大手が逆立ちしてもマネできないのがここですから、手を抜くことは出来ません。放映後3日目からのお客様には、12月までお待ち頂くことにしました。本当に申し訳のないことです。

 僕がなぜ、積極的な営業をしないのか不思議に思われるでしょう。それは、悪魔のソースは、50年後を目標にしているからです。現在、創業23年ですからあと27年あります。油をナマで食べるという食文化が、日本の食生活のなかで定着するには最低、50年が必要だというのが僕の考えです。

 50年先はおろか、27年も生きられないでしょうが、どこの家にも悪魔のソースがあって刺身をドレッシングで食べることが日常化するにはそれだけの時間が必要だと思います。宣伝すれば売れることは、今回のテレビでも経験しましたが、売れればいいというものではないでしょう。

 悪魔のソースは小なりと言えども、オンリーワンです。腐りやすく日持ちのしないような商品を手がけるバカなヤツは滅多にいません。そんなバカでも生き残れるかどうか、少しだけ試して見たかったから臆面もなく初出演しました。

 さあ、大変だと知ったご近所さんが入れかわり立ち代り応援に現れました。悪魔のソースは手づくりだから、納品書も手書き。封筒の「ありがとうございました」の一言も手書きでなければ誠意がない。だれ言うともなく、仕事が動き始めました。

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Posted by 吉野父ちゃん at 13:00│Comments(0)まさかの人生
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