悪魔のソース・博多んぽん酢を新しい博多の名物にしたい。老人のかなわぬ夢でなく、夢を現実にしてみたい。脳梗塞から三度の生還。ヨレヨレ、ボロボロになりながら、果たせぬ夢を追い続ける男に、強力な助っ人が現れた。平凡だったそれまでの人生が「まさか」の出来事で、がらりと変わる。一度ならまだしも、それが二度も三度も続いた。波乱万丈だが実に、愉快だった。人生の終末期を迎えた今、またもや「まさか」の驚きである。ヒルマン監督ではないけれど、信じられな~いのだ。人生、終わり良ければすべて良しなのだが、それはまだわからない。

2003年12月25日

市場から消えた料理人

 市場の朝は早い。
世間様はまだ暖かい布団にくるまっている頃、市場には長距離トラックが集まってくる。福岡には大小さまざまな市場が点在するが、博多港の長浜にある魚市場と、博多駅裏の五十川にある青果市場が両横綱だ。ボクが普段、利用するのは、青果市場の方だが、魚市場にも出かける。

 魚市場の熱気に比べると、青果市場はやや活気が少ないが、長旅を終えたトラックから降ろされた白菜や大根など冬野菜の山が築かれるとともに、いやがうえにも熱気が高まる。

 最近では、ボタン式の電子セリが増えつつあるようだが、ボクは独特の符丁や隠語、だみ声の飛び交うセリ場の雰囲気が大好きだ。博多は、そうした古き良き伝統で市民生活が支えられているので嬉しい。鑑札がないので、セリには参加できないが、後ろの方からセリの様子をのぞくことができる。

 例えば大根だが、葉物野菜や根野菜、果物などそれぞれののセリ場が決まっているので、大根は大根のセリ場に行けばいい。今からセリを待つ大根の産地、品種、等級などがわかる。大抵は5cmくらい葉先を残してダンボールに入れられているが、時々、葉っぱの方が長い葉付き大根に出くわす。

 こんな時は、せり落とした仲卸しに頼んで、店に並べる前にわけてもらう。もちろん、朝飯用だ。ミジンに刻んで、塩、コショー。胡麻油で軽く炒めてぽん酢で食べる。一度には食べきれないので、昼、パートさんにも食べてもらう。

 さて、セリ落とされた野菜は、仲卸しの手でそれぞれの店に運ばれる。ボクたち、買出し人はこの仲卸しのコマを回りながら、品定めするのだが、ここ10年ほど前から、料理人の姿を見かけなくなった。電話やファックスで注文しておけば、午前中に配達してもらえるので、なにも眠い目をこすりながら早朝から市場に出かけなくても、用を足すことが出来るからだ。

 からだが楽で便利になったには違いないが、これでは、品物の良し悪しを見分ける勘や、旬の味を見抜く、目利きの料理人は育たない。彼らは仕入れた品物より、伝票をしっか
りチエックする方が大切らしい。お客に美味しいものを食べてもらうには、どうしたらいいか、と、いう努力より、味は二の次。どうすれば儲かるか。電卓を弾くことに長けた料理人の方を喜ぶ経営者が多いからだ。

 同じ畑の大根でも、身の張り方、色、艶、大きさ、重さなどが一本一本違う。ましてや、産地が違えば品種も味も違うのに、青首や練馬、聖護院、桜島といったそれぞれの違いがわからぬ料理人がいるというからたまげてしまう。

 先日も玉ねぎを仕入れに行き、得難い出会いを経験し、教えられたことがある。
玉ねぎは今や一年中買えるので、いったい、本当の旬は何時なのか判りずらい。今は、淡路島や香川県産の「もみじ」という品種が旬の盛り。普通、スーパーにあるのは北海道産なのだが、「もみじ」は3割方高い。が、果肉のキメが細かくて、身の締りがいい。ジューシーで甘味があり、柔らかいので生食がいいし、ドレッシングには最適なのだ。

 この「もみじ」の出荷が終わる2月からは、九州産の早出し春玉ねぎの出番。一番バッターは延岡(宮崎)の「空飛ぶ玉ねぎ」が、ジェットで大消費地の東京へ運ばれる。次いで、水俣(熊本)のサラダ玉ねぎが登場。5月からは佐賀や長崎産が登場する。九州での出荷が終われば日本列島を北上して北海道が主力になり、10月からは香川や淡路、泉州といったところの玉ねぎが登場する。

 電話やファックスで注文すれば確かに玉ねぎは届くだろうが、自分の目で確かめていないので、値の安い産地の玉ねぎではないか、と、疑っても、否定されると、反論出来なくなる。つまり、流通の現場を知らないから文句のつけようがないのだ。
 
 先週のある日、行きつけの店には香川県観音寺産、別の店には同じ香川でも丸亀産の玉ねぎが並んでいた。観音寺は2Lで皮はぎ作業が楽なので、手を伸ばしかけてフト、隣の店を見るとカトリックのシスターが玉ねぎ選びに余念がない。ちょくちょく顔を合わせるので、お互いなんとなく気安さを感じ、玉ねぎ談義になった。

 そこで教わったのが「玉ねぎの即席漬物」。
ご紹介しよう。とても簡単に作れて、美味しいのだ。玉ねぎは粗ミジンに切ります。軽く握って水分を飛ばしたら、インスタントのだしの素を両手にとり、もみ込んで10分ほどそのままにして味を馴染ませる。最後にぽん酢で味を整えるだけ。とても簡単で旨かったので、キャベツや白菜で同じようにしたが、ボクにはキャベツが最高だったな。胡麻やチリメンを振りかけてやれば、栄養価も高まり立派な一品になる。

 シスターによると、浅漬けにする玉ねぎは香川産、それも柔らかくてジューシな丸亀産の小玉が良いそうで、包丁を入れると硬い北海道産は煮込み料理、それも弱火でじわじわ煮込む方が味が深いそうだ。こんな出会いがあるからこそ、市場通いは楽しい。

 だが、こんな出会いも今のうちかも知れない。IT時代にあっては、商取引の場もコンピュータ上に移行した。そのうち、獲れ立ての野菜や魚を消費者へ直接販売する電子商店の時代になり、荷受や仲卸問屋の使命も終わるだろう。

 ネットショッピングでは、人間くさいものの一切が否定され、人間の息づかいや、臭いもない。無味乾燥の野菜や魚を食べることになる。効率を追求していった果てには、そうなることを覚悟しなければならない。料理人と素材の距離が次第次第に離れていくのを嘆いてばかりはおれないので、魚市場をのぞいてみた。

 青果市場も市場であることは間違いないが、同じように市場を名乗ってみても青果市場は、魚市場にくらべると影が薄い。活魚というぐらいだから、鮮度そのものが高品質の証になるので、売り手も買手も真剣勝負。妥協がない。活気に満ち溢れている。少なくなったとはいえ、青果市場では、全く姿を見かけなかった料理人の姿が、ここでは見かけられる。

 しかし、悩みの種は共通していた。昔は売り手と買い手の相対勝負で市場を形成していたが、商社やスパーとの大口取引きが増えるにつれ、取引形態も電子取引が主体になりつつあるという。

 「大きな声じゃ言えないがね」と教えてくれた話では、料理人が「社長」と呼ばれているような店は、ろくに目利きも出来ないが、買う量は半端じゃないそうだ。家族経営で慎ましやかな商いをする小さな寿司屋や小料理屋こそ本来のお客さん。目利きの職人が居て、旨い料理を出してくれるそうだ。

 2、3、店名を聞いたがここでは公表できない。土地不案内で、良心的な店が知りたい人には、「こそっと、メールで教えちゃるタイ」。

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Posted by 吉野父ちゃん at 10:00│Comments(0)まさかの人生
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