悪魔のソース・博多んぽん酢を新しい博多の名物にしたい。老人のかなわぬ夢でなく、夢を現実にしてみたい。脳梗塞から三度の生還。ヨレヨレ、ボロボロになりながら、果たせぬ夢を追い続ける男に、強力な助っ人が現れた。平凡だったそれまでの人生が「まさか」の出来事で、がらりと変わる。一度ならまだしも、それが二度も三度も続いた。波乱万丈だが実に、愉快だった。人生の終末期を迎えた今、またもや「まさか」の驚きである。ヒルマン監督ではないけれど、信じられな~いのだ。人生、終わり良ければすべて良しなのだが、それはまだわからない。

スポンサーサイト

上記の広告は2週間以上更新のないブログに表示されています。 新しい記事を書くことで広告が消せます。  

Posted by スポンサー広告 at

2008年06月22日

うかうかできない。

 障害を抱えての生活は、倒れる前とペースが変わってくる。以前は容易にできていた動作が思いどうりにいかず、何をするのも時間がかかる。こうしたことから生活を組み立て直さなければならなくなる。そうするには目標が必要だ。目標には、人生の大きな目標と、日々達成できるような小さな目標がある。

 今大切なのは「あきらめず、希望を捨てずに」日々精進すること。障害を抱えた人生は「鈍行」だけど、新しい世界が開ける。
 障害を抱えるのも決して悪くはない。発売が遅れている「たままねぎぼうや」だが、使用する原材料の確定作業が続いている。品質日本一が当初からの目標だから、やらなければいけないことが山ほどある。

 先々週は、関西を周遊した。そのひとこまが、サンデー毎日に「ソースに賭けたY君のこと」として紹介された。疎遠になっていた知人や友人から音信があった。見知らぬ人からもある。多くの人に見守られている。こりゃ、うかうかできないぞ。  


Posted by 吉野父ちゃん at 09:50Comments(0)そうす亭日乗

2008年06月14日

琵琶湖周遊③

 牛肉は昔から、近江牛と呼ばれ、ブランド牛として不動の地位にある。
 
 京都駅で友人と別れ、大津に舞い戻った私は琵琶湖ホテルに投宿した。ホテルの鉄板焼きが評判だったからだ。肉は期待を上回るほど旨かった。オスよりメスのほうが美味なのは哺乳動物の通例だが、その日供されたのはメスの小牛だそうだ。
 
 琵琶湖は淡水湖だから、コイ、フナ、ウナギ、フナ、アユ、モロコなどあらゆる淡水漁が生息しているが、スッポンを忘れる訳にはいかない。
 
 大津市の膳所には、北村というスッポン料理の専門店がある。旧国鉄で機関士をしていた主人が趣味で飼育していたスッポンを食べさせたのが始まり。昭和38年ごろの話で、新米記者の僕の給料は一万円ちょつと。それでも。月に一度は生き血をすすり、刺身に舌鼓をうった

 堅田の落雁と謳われるほどだから冬の鴨は旨い。浮御堂のすぐ隣りに料亭がある。湖漁をいろいろ食べさせてくえるが、圧巻は真冬、二月に食べる鴨鍋である。一緒に鍋を突いた、水上 勉さん、浮御堂の荒井義登住職は今、彼岸に居られる。

 短い旅だったが、忘れていた多くを思い起こした。生き抜く勇気が湧いてくる。
   


Posted by 吉野父ちゃん at 09:09Comments(0)うまい話・食えない話

2008年06月11日

琵琶湖周遊②

 先週は仕事抜きの旅をした。大阪であった先輩を偲ぶ集まりに出席。京都から大津を巡った。比叡山・延暦寺では根本中堂の「不滅の灯明」に手を合わせた。大津では懐かしい堅田の浮御堂を訪ねた。その小さな旅の模様が今、発売中のサンデー毎日〔6月22日号〕の「サンデー時評」に紹介されている。ご笑覧ください。  


Posted by 吉野父ちゃん at 22:31Comments(0)そうす亭日乗

2008年06月02日

琵琶湖周遊

 私的な会合に出席するため、今から大阪へ。ついでに、比叡山・延暦寺や浮御堂など琵琶湖を巡ります。
 大阪の新聞社に採用されたのは昭和38年。配属先は滋賀県大津市でした。懐かしい、第二の故郷への小さな旅です。  


Posted by 吉野父ちゃん at 08:31Comments(0)そうす亭日乗